その青年を私はフェイスブックの中で見つけた。が、
彼は自家用の米や野菜を作っているが、販売しているわけではない。
彼の頭の中に<村の構想>がある、と私は直感したのだ。
勿論、と言うか、もしかしたら
彼自身は、そういう自分の構想に気づいておられないかも、知れない。
ただ私は彼の文を読みながら、
彼はただ単にもの作りや販売をするだけではなく、
理想の村をイメージしているな、と思ったのである。
彼とは、栃木県の茂木町で、小さな宿屋とパン屋をやりながら米づくりをしている青年、
君島佳弘氏である。
彼の頭の中には、自分だけではなくもっと広い空間イメージ、つまり、
彼の住む村の再生イメージがあると、直感した。
しかし、謙虚な彼は決してそれを口にしない。
ただ、彼の記事を読みながら、
私の頭(脳)が、彼の(脳)に反応したのだ。
私はさっそく彼を尋ねてその小さな宿屋に泊まった。
その時の彼の行動も、まさに私の直感通りの反応をした。
彼は夕食の時に、自分の仲間たちを
同席させても良いかを私に打診し、
夕食事には彼の仲間三人が来てくださった。
それぞれが農業のこころざしを持った、気持ちのいい青年たちでありました。
私が何を言いたいか、というと、
その人の中に、今回は君島青年だが、
その脳のビジョンの中に、
自分個人だけではなく、
他者も含めた空間ビジョンがあるかどうかが大切なのです。
そういうスケールや包容力があるかが大切なのですよ。
それがあるかどうかが、
これからの彼の事業展開に大きく作用してくる。
君島青年の脳の中には、
おそらく彼が住む地域全体を対象にしたイメージの芽があると、
私は直感している。
すでにその時同席してくれた大学生の山田智貴君は、卒業後農業に取り組んでいる。
山田君の脳の中にも個人を超えた空間イメージが有ると私は思う。
おそらく日本の津々浦々にはもうすでに、
こういうスケール感を持った青年たちの芽が生えて来ているのではないか、と
私は思う。
その時、彼らがどういう展開をしていくかどうか。
まずは個人の事業の成功をし、
それをバネにして、
小さく纏まらず、単なる個人の展開に納まらず、
10年くらい経験を経た後に、
確実なる産業へと
産業設計をしてほしいと願っています。
君島青年のところへ私は、それを伝えに行ったのだが、
もしかしたらまだ、ピンと来てないかもしれないね…笑!
しつこく書くが、どうしても日本人は、個人としての成功は、各地に
点在するが、
それが産業へのスケールを持たない。
いわゆる個人の奇特な成功、職人的成功で、止まってしまう。
憲雄氏は、そこには
おおいなる経営者としての理念とビジョンが、
欠けているからだと、
言っていた。
ぜひ、経営を勉強し、
日本のあちこちで農業の再生と産業設計をして欲しいと私は願う。
きっと未来は、
日本のあちこちで
「どこかに美しい村」が現れるとことを、
私は確信している。
それが私の希望です。

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