早池峰神社の杉木立の中に立っていると、悠久の時間の中、
風に乗って微かに神楽の笛や鉦の音が聞こえた気がした。
どんどんテクノロジー社会が進む中、
真剣に悩みました。
そんな中
遠野で児玉房子さんのガラス絵に出会い、
もしかしたらこのガラス絵と、
茨木のり子さんの詩「六月」の
「どこかに美しい村はないか」の
その「美しい村」こそ、
人間の生きる理想の姿ではないか、と思い、
映画にしました。
いろんな生き方があっていい。
テクノロジーの時代に乗って生きてゆくのもいい。
だがしかし、
その時代に乗らず反対に
「美しい村」で生きるのもひとつの
選択であり、
それはとても素敵な気がした。
みんなが同じ方向を向いていなくてもいい。むしろ
ひとりひとりの生き方があり、
そこに、
その人の大切な意志と意味と希望がある。
荘厳な早池峰神社の杉木立の中に、
それまで生きてきた人々の、
そのひっそりとした息吹が、
時代を超えて息づいている気がした。
美しい空と青々と稲が伸びる水田の2日間、遠野に行きました。
懐かしい人にも会いました。
どこかに美しい村はないか。
ありがとう遠野。
遠野はやっぱり
美しゅうございました。


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