芥川龍之介と宮沢賢治の類似点は、
芥川が書いた「鼻」や「芋粥」の主人公達の、
悟りとも言うべき心境と、
「アメニモマケズ」のデクノボーの心境がそっくりだということです。
「鼻」の主人公禅智内供も「芋粥」の主人公五位も、
たとえ他人に嘲りを受けようが笑われようが、
醜い鼻の自分、風采上がらない自分こそが、
いかにも自分であることにホッとします。
それは宮沢賢治が欲したデクノボーの姿です。
でもね、
これは現実的に自分達の世界が
理解されない事による、
一種の逃避願望でもあり、
賢治も龍之介も、
二人ともが疲れはてて辿りついた立ち位置でもあります。
賢治も「羅須地人協会」以後、自分の思い込んだ理想が、
実は世間知らずの自分の独りよがりの蜃気楼であったことに気づきます。
もう何もがへし折られ打ちのめされた時、
デクノボーへの願望が湧いてきます。
決して、優等生の自分でもなく、
賢人の自分でもなく、
地べたにへたり込んでいる自分です。
もう世の中の、
何もかもから解放されたいという
願望です。
もう、俺のことはほっといてくれ、
もう誰からも期待されたくない、
という願望を、
賢治は、父親に気取られないように、
言葉巧みに詩の中に潜めました。
芥川の中にも同じように、
この世から解放されたいという願望が常に潜在意識にあったと思います。
だから芥川はしょっちゅう自殺願望を口にしました。
賢治の場合、
「アメニモマケズ」の詩が
敗北と挫折の心理であると読み取ったのは、
詩人の中村稔氏とほんの少数の人々だけです。
逆に高村光太郎をはじめ、
多くの人々は、この詩で賢治を神格化し、賢人化しました。
そして「アメニモマケズ」は、
大政翼賛会によって、
戦争高揚の為に利用されてしまいました。
だからこそ全国に知れ渡ったのですが。
しかし、どう考えても人間は、
「アメニモマケズ」のように、
なれるハズがないのであり、
そこは賢治も承知していたからこそ、
逆説的に書いたのです。
戦後賢治の神格化や賢人化がおきましたが、
もし賢治が生きていたら、
きっと嫌がり拒否したと思います。
ただ「羅須地人協会」を始める前の賢治には、
ちょっとそういう傾向があったかもしれないです。
というのは、
賢治は、いわゆる<メシア症候群>でしたから。
<メシア症候群>とは、
大衆の上位に自分を設定して、
自分を救済者(メシア)として振るまう、
つまり助けたがりやになるという、
心理病理です。
しかし、「羅須地人協会」を始めてからは、
賢治は自分が救おうとした農民から逆襲をうけ、
現実の厳しさと自分の奢りに気づいていきます。
やっと人間の心理の複雑さや屈折に気づくのです。
自分がいかに上から目線で農民を見下していた、未熟な人間であったかを
農民達から思い知らされます。
また、何もかもが自分の安直な蜃気楼であり、
最後には花巻を脱出して、
東京で新しい所帯を、と考えていたふしがありますが
しかしそれも賢治の一方的な思いこみであり、
東京で無惨に打ち砕かれてしまいました。
おそらくこの辺りの経緯は、
これからコアな賢治研究者が明らかにしていくでしょう。
それに比べて龍之介には決定的な大挫折がありません。
彼の遺書に書いてあった自らの不倫くらいかなぁ?
しかしもしかしたら芥川は、
新しい小説の形を目指していたかもしれません。
当時夏目漱石以外は、
感情や欲望を基調とした自然主義文学や私小説や、
谷崎などの官能美の小説が主流でしたが、
龍之介は感情の露出を嫌い、
また自分を晒す私小説も良しとせずに、
それらとは一線を画す小説を模索していたのではないかと思います。
その小説が書けない事に対する焦りもじわじわと湧いてきたでしょう。
人間の現象として、西洋文学に匹敵するような込み入った、
善悪の彼岸を超えた小説を書きたかったのではないか、と思います。
つまり漱石を越えるような小説を、です。
それがうまくいかない焦りと、
私はなによりも
龍之介が常時不眠症に襲われ薬を服用していたことに原因があるのではないかと思います。
このことは、
かなり龍之介の心身の消耗を招いたと思います。
それは久米正雄に宛てた「或旧友への遺書」に書かれていた、
「ただぼんやりとした不安」です。
この根拠がないが、霧のように自分を襲ってくる、得体のしれない不安とおそれが、
次第に龍之介を蝕んでいったと思います。
このシリーズ4で書いたように、強迫神経から来る不安が常態化し、
それが気力や意欲を奪い、
そのしんどさからの解放として、
死を夢みるということです。
これは私も体験ずみですから、
それがどんな恐ろしく、辛いかわかります。
残念ながら龍之介は多分ここから脱却出来なかったのではないでしょうか。
長くなりましたので、ここから先は
次回に書きます。
つづく。

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