A I推進者達たとえばアルトマン氏などは、A Iが人類に貢献すると言います。
私はそれは大いに結構なことであると思っています。
反対に人間に主眼を置きA Iを相対化した時、
果たしてそれは人間の進化になるのか、いやむしろ、
人間を阻害するものにならないだろうか、という疑問が湧きます。
なぜならA Iとはまさに、
人間の脳世界の外在化の極なるものであるからです。
ということは、A I社会になると、
これまでのように人間が脳を内在化させず
(自分で考察したり,作り出したりせず)
自分の脳をA Iに委託させればいいわけですからねー…。
文明とは常に自分の能力をテクノロジーに委託させてきた歴史です。
人間が自分でやらなければならない、
面倒で手がかかり、時間が消費される事を、
機械や電気器具に委託させたり、
化学製品に委託させてきました。
そして、
最後はA Iに自分の脳の能力まで委託するのか,という私の疑問です。
そしてそれは、人間が幸せになるのだろうか?
◯
昨日「側坐核」のことをかきましたね。
人間が人間たることは、
リスクを乗り越えながら成長すること。
脳がリスクを乗り越えようとするところに、
意志がうまれ、意欲が湧き
そして喜びを感じる。
そして、
人間は楽しいことが大好きであること。
反対に人間が最も嫌うのは退屈であることです。
人間は目が覚めている時の空白を嫌います。
だから人間は基本的に体を動かしたり、
働くことが好きなのです。
そして弱い人間は弱いからこそ、
他者と繋がることを欲し、それが
人間の生存条件になりました。
◯
私はハッと思いました。
もしかしたら、昭和から平成にかけての時代が、
人間にとっては最高の時であったかもしれないと。
そして、あそこを頂点に人口減少が始まります。
人間はもしかしたら、
これからとてつもないことを失うかもしれないと
私は思いました。
それまで積み上げてきた人間の労働の技術。
人間の手で造られる素晴らしい製品たち。
自然と協働しながら生産する喜び。
その結果、
自然と調和した美しい暮らしの風景などなどの、
いかにも人間が大切にして築き上げてきたものを
人間は失うかもしれない。
それらが,どれほどかけがえのないものであるかを、
失って初めて人間は思い知るのではないか、と。
だとしたら
だとしたら今、
それが消えないうちに撮っておかねば。
遠野のガラス絵館の児玉房子さんのガラス絵を見ながら考えました。
この絵の中には、
辛い労働があったかも知れないが、
それを成し遂げていく人間への愛がある。
人間の愛の世界とは何か。
ありとあらゆる人間の労働は、
どこかの誰かの役に立っている。
面白いことに人間の脳のなかの神経細胞の働きも同じなのですよ…。
でも、もう説明しません。
どこかにある美しい村。
これから何十年と経った時、
もしかしたら人間の暮らしはとてつもなく便利で人工的になっているかも知れない。
しかしその時人々は、
この映画を見て,
こんなに長閑で、美しい村があったのかと、
思うでしょう。
終わります。

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