若き日に、萩原朔太郎の詩「黒い風琴」を読んだ時、生意気にも、官能的な美しさとはこういうことか、となんとなくわかった気がした(苦笑)
それはロダンや萩原守衛の彫刻を見た時も、カミーユ・クローデルの哀しみと狂気が分かった時も、同じであり。
それほど激しくはないが、谷崎潤一郎の短編「刺青」、また岡本かの子の「老妓抄」を読んだ時も,似たような感覚がありました。
しかし圧倒的なのは朔太郎の「黒い風琴」です。
オルガンを弾く女性の指の流れの美しさとそれをみつめる朔太郎の眼と震えるような言葉。
田村俊子の「金魚」も官能的ではあったが下俗な感じもあり、
それは、子宮作家と呼ばれた瀬戸内寂聴へと繋がるが。
しかし同じ官能であっても、私はあのその下俗性が好きではない。
さて,官能とは、
カミソリのように研ぎ澄まされた感覚の奥にある艶美なる世界。
エロス(官能)は、
壊れそうになりながらもかろうじて私を支えてくれた蜜でもあり、
若き日の私から、今の年老いた私の中を一貫して流れる、
私が支配された生と死の美意識の世界でもあります。
美しいと感じる一瞬は、大脳と身体の発火でありエネルギーでもあり、一方では、
静かなる佇まいでもある。
なぜ佇まいかというと、
その爆破は決して粉々になる破裂ではなく、ひとつの美しい光景として印象されるからです。
燃える理知の組織化でもある。
そう、だから燃える発火とともに
佇まいなのだね。
官能とは佇まいなんだ…。
では、詩をどうぞ、長いよ(笑)
◯
黒い風琴 萩原朔太郎
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物を着て
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです。
かるく やさしく しめやかに 雪の降っている音のように
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
だれがそこで唄っているの
だれがそこでしんみりと聴いているの
ああこの真つ黒な憂鬱の闇のなかで
べったりと壁にすひついて
おそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷオルガン れくれえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです。
お弾きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつもるときの松葉のように
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんというはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。
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