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個が生き,全部が生きる街、秩父!

昨夜は息子と一緒に、

秩父矢尾百貨店で開催されていた

「秩父のゴッホ・香本博展」の搬出の手伝いに行ってきました。

秩父の街中を車で通りながら、息子と話したのは、

なぜこの街がシャッター街にならず、

むしろ魅力的な街並みとしてあるかについてです。

それは矢尾百貨店を中心に、

個人商店とのバランスが上手に取れているからだと、

息子が言うのです。

つまり、

⭕️独り勝ちしょうとする、何とかモールがなく、

百貨店も、それぞれの個人商店もが

????いわゆる遠慮がちに,と言いますか、

それぞれが共生しようとする、

潜在的な、

目には見えな日本的モラルが,

まだ生きている町ではないか、というのです。

これね、ほんとに大切なことだと私は思います。

日本中が、何とかモールとか,大型スーパーとか、にデーンと、居座られて、  

日本中、どこへ行って、

同じチェーン店のものを買わされています。

何てつまらない、

何て無個性の町に、

なってしまっている。

そしてイナゴの大群に食い尽くされたように、

街が荒廃してゆく。

何かおかしい。

何か、大切なことが、

失われていく。

私は秩父の人々に願います。

個々が生き,全部が生きる町、

息の長い街として、

この街を大切に守ってほしいです。

まーよそ者の勝手な願いですが。

そう、思いました。

少しずつ、秋が来ていますね。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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