久しぶりにゴッホの手紙上と下を読み返した。
若い頃読んだ時とは全く違う印象を持つ。
なかなか言葉が浮かんでこない。
それは多分私の中にゴッホに対する言葉にならない何かがあるからだと思う。
彼の自殺が本当に自殺だったのか、地元のヤンキーと揉めての発砲事故だったのかわからないけど、
彼の手紙には生きようとする彼しかおらず、
しかし、最後の麦畑の絵には、生ききずらそうな苦悩も見える。
その苦しみが、脳発作による一時的なものか、
それとも脳発作の苦しみが精神までを侵蝕してしまったのかは、
わからない。
手紙には,脳の発作に苦しみながらも、
あれも描きたい、これも描いてみたいという,
意欲のあるゴッホがいる。
そしてそこには、いかにも画家らしくロマンチックなゴッホがいて、
「水は綺麗なエメラルド色の斑紋を描く」とか、
「オレンジ色の落日は、土を青く感じさせる」と書いたりしている。
正直で教養溢れるゴッホがいるよ。
弟テオに送金してもらい、それに感謝する手紙には,
ひたすら印象派としての画家世界を求め語るゴッホの言葉が、尽きない。
20代の頃のゴッホの絵はまことに定型で,
感情の起伏も穏やかであるが、
30歳の辺りからゴッホの中に何かが起きる。
もしかしたらこの頃に、絵を描くことの目的というか、使命感みたいなものが芽生え、
何かを掴んだかもしれない。
親友だったエミル・ベルナールによると、
確かにゴッホはすぐキレて怒りやすかったらしいが、
反対にゴーギャンは、どちらかというと冷ややかで選民意識が高く、自尊心が強かったらしいし、
ゴッホのような敬虔なものを持っていなかったらしい。
ゴーギャンの絵から私が感じるのは、虚無や甘ったれを感じますし、
多分かなりの皮肉屋ではなかったかと思います。
もしかしたら今でいう発達障害、あるいはADHDであったかもしれないゴッホに対してゴーギャンは、
冷笑的であったかもしれませんねー。
それでもあの事件の後も二人は手紙の交換をしている。
画家達の組合を作ろうとアルルに行った頃のゴッホの絵は本当に素晴らしいし、
花の絵も美しさがこぼれ落ちている。
最近の私は,現代の終末感に囚われて、時に鬱に落ち込み、
人間に生まれて良かったのかどうか、人間が生きるとは何なのか,とふさぎ込むことがある、が、
しかしゴッホの手紙を読み、絵を眺めてふと思った。
あー私も人間に生まれたからこそ、
ゴッホという人間と出会えた。
もし人間に生まれていなかったら、
ゴッホにも出会えなかっただろうから、
人間に生まれたことは、良かったんだ!と。
なんだか妙なこじつけだが、
そうなんだろうね。]

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