坂口安吾の「堕落論」を読んだ。
あるヒントをもらいたくて。
このところ、日本も世界も含めた、
人間にたいする退廃感と、この世のに生きることの空虚さが、
どうしても頭の中から離れない。
いったい人間とは何か,なぜバカなことことばかりするのか。
生きることにウンザリし、
嫌気がさす中、
私自身の精神の座をどこに置けばいいかのかがわからなくなっている。
良寛のように逃げてうずくまるわけにも、いかない。
なぜ人間は滅びへと突っ込んでいくのか,もう私の寛大や包容力も限界にきている。
だから人間をどう理解したらいいのか、どう受け入れたらいいのか、
安吾に教えてもらいたいのだ。
若い頃に読んだ「堕落論」で安吾は
この世のすべては、
人間が作り出したものに過ぎないと言っていた。
国も社会も、そして何から何まで一切が人間のつくりもであり、それらの価値,意味を、
彼が全否定していたのを、
思い出したからである。
空襲によってすべてが瓦礫になった。
つまり、人間が作ったものが一切が崩れおち、
国家も権力も、社会も街も村も、瓦解し、
現人神と崇められていた天皇も、
人になった。
その焼け野原と瓦礫が何を意味するのかを、
私はもう一度教えてもらいたい。
私の目に見えているのは、人間が作っては壊れ、作っては壊れてゆく、そういう歴史ばかりがくりかえされていく。
しかしそんな中でも、少しずつ,ほんの少しずつ人間は賢くなっていく。
人間が脳を獲得した宿命として、
人間は、宇宙の自然性のロジックから逸脱してしまった。
つまり人間は宇宙と自然のロジックから外れ、
人間の脳が作るロジックで生き始め
そして脳の作り出す人工社会で生きるしかなくなったのてある。
人間か作る社会という虚構と人工物の中で、
カプセル化され。その閉鎖的世界の中を生き、そしてそれは常に、
自然性から疎外された確執のストレスを生きるしかなくなった。
つまり純粋に自然が作り出したもの以外はすべて、
人間が作り出したものであり、
人間は、自分達が作り出した、
社会、組織、規範、物質の、引き起こす現象の中で、
翻弄されて生きる動物になってしまったという事です。
戦争も紛争も人間の脳が作り出す世界が、限界になると起こる。
ある種の人間現象の限界として、
不可避的に起きてくるのです。
つまり、人間が、自分達の愚かさや、限界を超えられない時に、
暴力や争いがおきる。
そして今はまさに、
戦後の人間達が作った脳社会(脳世界)のその、
人工的世界、人工物が、人間を超える時代まで来てしまったということです。
そして、
その人工的社会(世界)で,
人間はなんと脆弱であるか。
核はその象徴でもある。
これからくる人工社会で、
いよいよ人間は,
自分の存在すら喪失(無力化)されかねないのです。
私達の現実は、
これまで私達の精神世界を支え包括していた、
人間としてのアイデンティティが崩落しつつあり、
それはあの戦争で、
人間の創造物一切が崩落した、
戦後世界と同じではないかと、
私は思うのです。
◯
あまりに科学化され、
何もかも豊かになり,高い利便に囲まれている中でも、
私には希望がみえず、逆に
怯えている。
自分のアイデンティティの喪失現象が
進行することは、
あの一切が崩落した戦後と、
重なる気がするのですよ。
◯
人間とは何か,生きるとは何か、
矛盾し,捻れ、答えが見つからない中、
自分をどうしたらいいんだという私の問い掛けに。
人間は所詮堕落する。
堕落して生きるしかない、と
坂口安吾はいいます。
あーそうか。人間はその欲望から逃れられず、
常に自分の中の正義や道義を裏切りつつしか、生きれない堕落の存在だと、
安吾はいうのです。
あーそうか!
あーわかった。
それならそれで居直ろう!
それならそれで、
バカに負けるわけにはいかない。
愚か者が足を引っ張り合う現実に
負けるわけにはいかない。
オメオメと,科学の支配下に落ちるわけにも、
いかない。
◯
たとえ、
人間を不幸へと落としかねない時代になっても、
精神力と勇気を持って,生きようと
安吾から教えもらいました。


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