MENU

坂口安吾の極北の座! 1,人間の手なるもが無塵に灰した時、キラキラした無の世界が表れる。

世の中とは、人間の欲が走り、利害が走り、エゴが走り、所詮はそれ等の小競り合いが走り続ける、虚構の世界か。

なぜ虚構かというと、  

人間の自分の欲や利害やエゴは、そうありたいという<願望的,思い込み>に向かって走るからだ。

人間の世の中とは、そういう思い込み(幻想)が山の様に積み上がり錯綜し、小競り合いをし、時に実現化れたり、壊されたりする、

そういう⭕️現象が世の中です。

その中を、私達が、走り続けているのです。

神も、宗教も、国家も、社会も、全てが人間の欲,利害、エゴが、そして期待や願望が、

人間に都合の良いように脚色され、

砂漠にあがるカゲロウのように、人間社会を支配しているのです。

そしてそれらの人間の既造物が、

厳密にいえば日本という国な全て崩壊したのが、

第二次世界大戦です。

東京空襲の焼け野原の破壊され尽くした中で、

書いた安吾の文が、美しいのです。

⭕️誤解しないで欲しいのです。

安吾は、戦争を空襲を、肯定しているのではない。

愚かな戦争をやった人間の欲と傲慢がへし折られ、

その人間が作り上げた世界が一切崩壊した時に現れた、

静寂の中の無について、

安吾はその澄み切った美しさを書いているのである。

空襲で罹災した人々は逃げ惑い、路上には死者が溢れても、

人々の目には入らない。

人々は罹災した茫々たる廃墟と焼け野原の中、

自分が生きる為に逃げのび、やがて沈黙の夜がきた時、

安吾は、こう書く。

以下、その引用文を載せます。

「私は戦きながら、然し,惚れ惚れとその美しさに見惚れていた。

 私は考える必要がなかった。そこは美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際には泥棒すらもいなかった。

近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配もなく、

暗闇の深夜を歩き,戸締りなしで眠っていたのだ。

世界中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲あふれていた。」

(坂口安吾、堕落論、岩波文庫)

もう一度言います。

誤解しないでいただきたい。

私は戦争を肯定するものではない。

そうではなく、人間が作り上げた社会,国家,宗教、そして文化が、

一挙に崩壊した、つまり

人間の手なるもが無塵に灰した時、

そこにキラキラした????無の世界が表れ、

その美しさを書いた安吾に、共感したのだ。

私はこの極北の美しい座に憧れる。

そして、その無の世界から、

人間も、自分も、世界も、

見てみたい。

そこに私の座があるような気がする。

多分これからは、そこから書いていくと思います。

↑と、他人事のように言っていますが…笑❗️

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする