世の中とは、人間の欲が走り、利害が走り、エゴが走り、所詮はそれ等の小競り合いが走り続ける、虚構の世界か。
なぜ虚構かというと、
人間の自分の欲や利害やエゴは、そうありたいという<願望的,思い込み>に向かって走るからだ。
人間の世の中とは、そういう思い込み(幻想)が山の様に積み上がり錯綜し、小競り合いをし、時に実現化れたり、壊されたりする、
そういう現象が世の中です。
その中を、私達が、走り続けているのです。
神も、宗教も、国家も、社会も、全てが人間の欲,利害、エゴが、そして期待や願望が、
人間に都合の良いように脚色され、
砂漠にあがるカゲロウのように、人間社会を支配しているのです。
そしてそれらの人間の既造物が、
厳密にいえば日本という国な全て崩壊したのが、
第二次世界大戦です。
東京空襲の焼け野原の破壊され尽くした中で、
書いた安吾の文が、美しいのです。
誤解しないで欲しいのです。
安吾は、戦争を空襲を、肯定しているのではない。
愚かな戦争をやった人間の欲と傲慢がへし折られ、
その人間が作り上げた世界が一切崩壊した時に現れた、
静寂の中の無について、
安吾はその澄み切った美しさを書いているのである。
空襲で罹災した人々は逃げ惑い、路上には死者が溢れても、
人々の目には入らない。
人々は罹災した茫々たる廃墟と焼け野原の中、
自分が生きる為に逃げのび、やがて沈黙の夜がきた時、
安吾は、こう書く。
以下、その引用文を載せます。
「私は戦きながら、然し,惚れ惚れとその美しさに見惚れていた。
私は考える必要がなかった。そこは美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際には泥棒すらもいなかった。
近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配もなく、
暗闇の深夜を歩き,戸締りなしで眠っていたのだ。
世界中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲あふれていた。」
(坂口安吾、堕落論、岩波文庫)
もう一度言います。
誤解しないでいただきたい。
私は戦争を肯定するものではない。
そうではなく、人間が作り上げた社会,国家,宗教、そして文化が、
一挙に崩壊した、つまり
人間の手なるもが無塵に灰した時、
そこにキラキラした無の世界が表れ、
その美しさを書いた安吾に、共感したのだ。
私はこの極北の美しい座に憧れる。
そして、その無の世界から、
人間も、自分も、世界も、
見てみたい。
そこに私の座があるような気がする。
多分これからは、そこから書いていくと思います。
↑と、他人事のように言っていますが…笑

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