今日はね、今エマニュエル・ドット先生の書いた本をよんでいるから、
その合間にちょっと前に感動して書いていた,坂口安吾と芥川龍之介についての文を載せます。
エマニュエル・トッド先生の本は412ページもあり、それに読みだしたら,
目玉が飛び出そうなことが書いてあり、少し時間がかかるかもしれないよ。では。
坂口安吾と芥川龍之介のエピソード!
米津玄師君から言葉(詩)についてかき始めましたがもうひとつ、坂口安吾と芥川の文学に対する深いエピソードを書きます。
◯
坂口安吾はどうも芥川龍之介が嫌いだったらしい。
芥川の自殺についても、インテリの中途半端な自殺みたいに思って、半ば軽蔑していたような節もある。
しかしあることを機に、
その見方がガラリと変わってしまう。
それは芥川の死後、彼が書き残した未発表の断片を読んだからです。
そこに書き残されていたのは、
ある日なにがしという農民作家が芥川を訪ねてきて、自作の原稿を示します。
その前に芥川達は,
近頃農村も暮らしにくいので、
人間もずるくなる一方だという話をしていたばかりらしいのです。
そして、芥川がその原稿を読んでみると、
若い農民夫婦に子供が生まれたが、
この貧乏にひとつの生命が育ってみても、
結局育つ不幸があるだけだという考えから、子供を殺す話が書いてある。
その暗さに耐えきれない思いをした芥川が、
いったいこんなことが実際農村であるのかね、と尋ねました。
すると、あるね、
俺がしたのですから、と
農民作家が答えました。
芥川が返答に窮していると、
あんたは悪いことだと思うかねと、
その農民作家から逆に反問されました。
芥川は詰まり、まとまった考えもなく、その場は中途半端な終わり方をしてしまいます。
断片はそういう内容で書き残されており、
それを読んだ安吾は考えます。
そして私もハッと気づきました。
芥川はおそらく自分の描く小説,或いは文学なるものの、
虚構性を、
農民作家から突きつけられたのだと思います。
しかも偉そうに農村や農民を見下していた自分にもね。
芥川が「羅生門」や「鼻」で人間の醜悪さや愚かさを描いても、
それはあくまでも自分の虚構の中でしかない。
いくら死人の髪の毛を抜いて売る醜悪な老女を描いても、
それは芥川の頭の中の所産であり、
その農民作家の現実の前では、
あまりに空疎な、単に紙に書いた話でしかない。
おそらく芥川は自分の文学の虚実性の軽さに、深い敗北感を覚えたのではないでしょうか。
あれほど真剣に,切実に人間を描こうとした芥川の、
完全敗北です。
きっと深い深い自己嫌悪と虚無に襲われたと思います。
◯
芥川は高い知性と教養を持ちながらも、
その知性も教養も、一農民の平凡な生活の前で、一切が挫かれてしまった。
安吾も、その断片を読んで、それまでの、
気障に死にやがった、という芥川への印象を変えて、
多分、芥川は死ぬしかなかったのだろうと、書いています。
芥川の小説や文学に対する真剣さや思いが、彼を追い詰め、自殺に至ったと理解した時、
安吾は芥川のその死に対して、
悼む思いが湧いてきた、と書いています。
私も改めてそう思います。
芥川も、その師である漱石も、
知性の極点まで考察し、
自分を追いこんで文学に向き合ったと、思います。
ただ私は、芥川にそれを乗り越えて、
その先を書いて欲しかったです。
今,これほどソリッドに文学に向き合う作家はいるのかなぁ〜?
そして私もね、
恥ずかしいながら、
その末端の末端の末端の末の片隅に蹲りながらも、
正座していたいです。

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