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嬉しいことだらけ4、メビウスの輪!

言葉は芸術である。

言葉は最も美しい情緒でもある。

その情緒の奥に芸術がキラキラと輝いている。

言葉の芸術性を読み取るには鑑賞眼が必要です。

大いなる知性が必要です。

その知性の根底には、

人間の悲しみと懊悩への深い認識がなければならない。

人間の悲しみと深い懊悩とは、

正義や道理では裁かれない、

裁き得ない「命」の輝きのことであり、

「命」の輝きとは、

人間の一切のことである。

漱石もドストエフスキーも、その一切を描こうとしている。

光であり闇であり、すべての色彩であり、

人間の感情も理性も不条理をも含む、

一切である。

それは深い懊悩が無ければ解き得ない。

深い情緒がなければとうてい理解し得ないだろう。

深い懊悩は、底知れぬ暗渠の闇を見守る人間理解である。

その深い懊悩の鑑賞眼を持って文学の言葉を読み解いていくと、

キラキラと輝く言葉の芸術がまるで絵画のように、或いは映画のように現れて、

感動する。

漱石の世界は、沈黙の墨絵のようでありまた「書」のようでもある。

ドストエフスキーの世界は、

ギラギラギラとした油絵の世界であり、巧みな饒舌の中に、

喜びも悲しみも絶望をも突き抜けて

悶え苦しむ人間の懊悩が、

宝石のように露れてくる。

そういう時私は,読みながら、えもいわれぬ感動に心がうち震えます。

そして、その深い懊悩が、神の沈黙の中で、

祝福されていることが、

わかる。

神はその沈黙の掌の中に

赤子のように人間を包み込んでいる。

漱石の書のような世界も、

ドストエフスキーが紡ぎ出す光と影の煌めく絵画も、

よくよく「人間が生きるという困難さ」をわきまえていないと、

見えて来ない。

それはまるでメビウスの輪のようである。

その輪の中で人間というものが語られ、その輪の中で私もまた、

踊り(書き)続けている、のだと、

思っている。]

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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