「外は良寛」を読み終えて、静かな感動が広がり、胸が震える!

松岡正剛著「外は良寛」を再度読み終える(二度目)。

静かな感動が広がり、胸が震える。

なぜ私は、かくもこの乞食僧に惹かれるのか、

なぜ良寛は、こんなに美しい流麗な書を残したか。

一切を捨て、一切に逆らわず、飄々と生きたからか。

松岡正剛氏は言う、出雲崎の海辺に泊まり、こんな侘しい港町があるのか、と.

その寂廖に耐えられない氏がその時、改めて良寛の背負っているものの深さを追想する。

深い孤独と寂廖の中を、ひっそりと歩く良寛。

だからこそ、そこにあの、全てを捨て去ったような美しい線の書がうまれたのかと、私は思う。

その美しさは、良寛までとはいかなくとも、その侘しさと寂廖を知る者しか、わからないのかもしれんね〜。

※つまり孤独や寂廖の厳しさを体験していない人間には、おそらく理解できないのではないかと思います。

何故私が漱石に惹かれ続けたか。漱石も良寛の書に虜になった。

その事が、何となく分かった。あゝ涙が出そうになる。

しかし私も、まだ生きんにゃいけん。

まだまだ、我が師良寛と漱石のその背中を追って、生きんにゃいけんと思います。

私は、門司で生まれたからね、いけん、と言う言葉に、なりました。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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