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私がどうして癌治療をうけないか、その1 放てばかえって手に溢れ!

昨日、癌治療は受けない、と書いたことから

いろいろご心配をおかけしてすみませんでした。

それでどうして癌治療を受けないか、について

私の考えを三つの観点からご説明いたします。

人はそれぞれが大切な自分の人生ですから、

その人が思う通りの人生を全うすればいいと思います。

私の場合は、子供の頃から本ばかり読んできたせいか、

多分そのせいかとおもいますが…笑い、

ず~っと自分はどう生きるべきか、

人間とはなにか、社会とはないかを考え続けて

生きてきたと思います。

感受性が強く、感情の起伏が激しい私は、

どうしたらこの自我の苦しさから

解放されるかを考え続けてきた結果、

なるべく執着を捨てることだということに

気づきました。

物に執着しない、お金に執着しない、人間関係に執着しない。

家族に執着しない、そして

自分に執着しない、

という事に、まるで修行のように取り組んで生きてきました。

道元のいうところの手放す、ということです。

「手放せば、却って、手に溢れ」という事です。(正法眼蔵・「弁道話」)

この言葉を心に、一生懸命生きてきた結果、

今私にとって死は、怖くないのです。

胸のしこりが発生して考える中、むしろ、

人生の終わりがはっきりと見えることで、

どのように締めくくるかが、逆にワクワクすることなのです。

悔いのないようにしっかりと締めくくる覚悟をいただけたことで、

却って、良し頑張ろうという気概が湧いてきました。

延命ではない、むしろ生死を超え、

生死を考えず、ひたすら今を生きる、

そういう時が来ているよ、ということです。

今、一番捨てたいのは自我の感情です。

ただ、脳の観点からいうと、それは脳の辺縁系という、

人間の本能の部位であり、これを克服することは

もう、至難の業なのです。

でも、一つずつ小石を捨てる如く、できたら全部捨てて、

スッキリと心を澄ませて、終わりたいな~と思っています。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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