先般私はパソコンが故障したのを機に
京都へと旅行しました。
それは私の頭の中を駆け巡る<意識>のスイッチを切るためです。
スイッチを切り、それまでの脳の中で連鎖を遮断し、
あれこれと暴走する意識を断ち切り、
頭の中を白紙にもどしたのです。
京都では、美しいもの、面白いもの、
非日常の知的な刺激をくれるものを感覚入力し、やっと
私の体と脳との自然なコネクトへと再設定できました。
京都から帰ってきて、
なんとか私自身の頭の中を整理せねばと思い、
立花氏、養老氏の本を読み始めました。
お二人の本を読みつつも
もう一つ大切なことがあるように思い、
二つの本を読む合間に
中野孝次先生の本「風の良寛」を三度目のひも解きました。
そして、あゝ私は、こういう世界にまた戻りたいと思い、
続けて、さらに山頭火の句集も読み始めました。
・・・・・・・
●これは良寛の漢詩です。
春気稍和調 春季やや和調
鳴錫出東城 錫をならして東城に出ず
青々園中柳 青々たり園中の柳
泛々池上淬 はんはんたり、池上のうき草
鉢香千家飯 鉢は香る千家の飯
心抛万乗栄 心はなげうつ 万乗の栄
追慕古仏跡 古仏の跡を追慕して
次第乞食行 次第に食(じき)を乞うて行く
いいな~。
こんな世界がいいなあ~と、
私は思うのです。
ようやく春になって
良寛は山から下りて
村へと行乞にいきます。
もうそこには柳が芽吹き、池には水草が浮かんでいる。
しゃんしゃんと錫杖を鳴らして
村を行乞していくと
家々からもらった米が鉢の中でいい香りをしている。
そこで良寛は、心をいっぱい解放して!
もう何もいらない!
と言います。
立花さんや養老さんの本を読みながらも、
こういう良寛の世界に触れるとホッとします。
立花氏の科学を実証し、
さらにそれを産業化し経済としていく世界。
その対極に、
自然の中で生きようとする養老先生の脳世界。
その二つを凌駕しながらも、もう一つの人生学哲学世界として、
私は良寛の世界を思います。
現実は養老氏のいうように、
様々に煮詰まって、なかなか先が見えません。
そして立花氏の言う如く、日本の先端科学はすばらしいです!
はてと、
どうしたもんじゃろ~かと・・・と
私は思うのですが。
●山頭火の俳句です。
なんぼう考えへても同じことの落ち葉ふみあるく
それもよかろう草が咲いている
何をもとめる風の中
其中一人いつも一人の草萌ゆる
ころり寝ころべば青草
蕗のとう ことしもここに蕗のとう
種田山頭火
あゝ大切なのはこののどかさで、
それが失われないように
祈るばかりです。
これでこのシリーズは
終わりです。

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