私は、保守とか革新とか左翼とか右翼いう分け方も、また、
資本主義社会とか、共産主義社会とかいう、
●社会をイズム(主義)で分けた分けかたも、あまり良いとは思わない。
それに資本主義も共産主義も、どちらもが200年以上も前に生まれた思想とシステムであり、
もう、古過ぎるし、
そのどちらも、その限界が見えた。
ただ、どちらにも優れた点があった。
資本主義の、
自由が保障されている事と
共産主義の、
利益の平等な分配とが、
上手いこと止揚されるといいなあと思うが、そうはいかなかった。
そして今の私は、少なくともイズムではなく、
常に人間と世界全体をゼロ視点で
捉えたいと考えている。
ゼロ視点とは、
視界のなかに、全てをいれる、
或いは、相対化するという事である。
これからは全てを相対化する
科学と哲学の視点から
人間を見なければいけない時代に入ったと、
考えています。
いよいよ、そういう時代に入ったと
思いますよ。
○○○
情報社会もネット社会も、真偽が混濁しており、
ここにも幻想と思い込みの
●蜃気楼的な危うさがあります。
つまり、ネット社会も、これまで同様に、所詮は、
●共同幻想の枠の中をウロウロしているに過ぎない事が、
最近よく見えて来ました。
それよりも注意しなければならないのは、
高度テクノロジー社会の現実です。
ジワジワとよせくるAI社会では、
脳の衰退(日本人の知能の低下)と、
それによる、
脳の知能による階級的分化が、
起きるのではないか言う懸念です。
それに対処するには、
個々の人間の
●科学的知見と、
●哲学的思想の構築が
必携だと私は思う。
※もし、もう少し科学的な知見が国民の中に広く浸透していれば、
統一教会などに騙されないと思います。
脳科学から見たら、天国も地獄も、人間の脳の妄想だからね。
今は民衆には、
難しく思えるかもしれないが、
やがて社会の裾野にまで、
科学的知見が広がって欲しい。
また、
人間は常に、
脳の本能の脳の旧皮質と、
理性の脳の新皮質との攻めぎ合いの中を生きており、
人生を多岐多様に経験する中で、
旧皮質と新皮質とが、統合され、
脳が成熟していきます。
ところが、高度テクノロジー社会では、人間の経験値が阻害された場合、
考える、という、
人間が人間たる前頭葉の機能が
退行するかもしれません。
悶々と悩み、あがき、
ぐるぐる想念が頭が堂々巡りをしながらも、
出口や答えを考察する、という
脳にとっても極めて大切なプロセスを、
高度テクノロジーの社会では、
A Iにとって変わられる危機が
生まれます。
AI社会を甘く見ない事ですよ。
それを人間は、
どう乗り越えてゆくか。
○○○
A I社会を超えうる為には、
人間とは何か、どう生きるかの
哲学を考察していないと、
アッ言う間にA Iの奴隷になってしまうよ。
つまり解決手段をA Iに依存してしまう世の中になりかねない。
そうではなく、自分で考えるんだよ。
自分は人間としてどう生きるか。
この<人間として>ってところが大事なんだね。
なぜなら、時として人間は、動物以下にもなりうるからね…トホホ!
動物は自分の欲のドメインを心得ているが、
人間は、始末が悪いくらい欲深に陥るからね。
そこの哲学が必要だと思います。
大事なことは、
●考えるという事です。
常に考える。
もう一度ギリシャ哲学、
ソクラテス師の世界へ戻って考える。
「汝自身を知れ」そして
「無知の知」
「善く生きる」
これが基本だね。
A Iは便宜的な手段に過ぎない。
人間は今こそ、
人間たる人間になる時がくる。
科学と哲学、思想を弁証法的に止揚して、
国家を超えて、宗教を超えて、
もう一度、
どのように生きたら人間が幸せになるか、
考える時代です。
私としては、
今の愚かしい戦争や対立を克服し、
いわゆる20世紀の残骸を
この世紀の残り78年を懸けて解決し、
世界をどう新しいデモクラティックな世界に作り上げるかを
皆んなで考えてほしいです。

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