昨日書いたように、悩むことを一つに絞り、つまらないことには
悩まない、ということの続きとして言うと。
この日本という国は、他人がどう思うとか、他人の顔色を伺うとか、
忖度するなんていう、つまらない文化をはびこらせてしまった。
しかし、そういう事に神経を使ったり、悩むことをやめたら、
人々はきっとイキイキしだすだろう。そして
若者も、それ以外の人々も、
その才能が光りだし、活かされると、私は思うよ。
この国は、
いかに人材を潰し、才能の芽を摘んでいるか・・・。
では、気持ちを改めて、今日のテーマ、
●自分を脳の主役にするとは、どういうことかというと。
自分は、自分の思い通りにはならない。
自分の中はなぜだか分裂し、
自分はもう一人の自分といつも格闘している。
というようなことはありませんか。
自分の理性では・・・でありたいと思うのに、
つい、その思いとは反対の事をやってしまう…という風にです。
今、ちょうど<あおり運転>の事件の裁判をやっていますね、
あの犯人なんかを見ると、
彼は、自分の感情のスイッチが入ったら
もうそれに乗っ取られて、理性が利かない状態で突っ走っています。
いきつくところまで行かないと、そのスイッチがオフにならない。
つまり人間は、感情的な自分と、理性的な自分の
二つの線路を、同時に走っているのです。
そして感情のスイッチは、
理性のスイッチが入る前にオンになりますから、
感情に囚われてしまうと、もう止まらなくなるのです。
そして、感情とは、もっとも自分のエゴや自己中心の
エネルギーなのですよ。
動物的な自己保存の本能というか、
自己防衛のエネルギーで
●感情は自分に固執するエネルギーが、
渦を巻くのです。
だから、自分の感情は、
・どのような時にスイッチがはいるのか、
・それはどのように加速していくか。
そして
・その時の自分の感情や思いはどんなものになっているか・・・。
ということに、
しっかり気づき、自覚していないと、もう
あの犯人のように感情が、
・野放しになってしまうのですね。
このブログで何度も書いていますが、
理性は、
●意識でトレーニングしないとなかなか身に着きません。
断っておきますが、反対に感情を押し殺して生きている人も
実は感情にとらわれている人なのですよ。
自分が感情的な人間だからこそ、感情を抑圧しているのです。
そして、
感情を抑圧して自分の中に封じ込めていると、
ある時それはもう耐えきれなくなって爆発、暴走します。
パンパカパンの風船のようになって、あとは爆発するしかない・・・苦笑!
つまり感情は、
常日頃から自分の感情を相対化して(ちゃんと見つめて)
理性でそれをコントロールできるように●トレーニングしておく必要が
あるのです。
それは攻撃的な感情だけでなく、
幼稚な感情である、自己憐憫や、感傷的な感情も、同じです。
困ったことに、感情に溺れるとそれは快楽ですから、
ついその甘味や旨味で中毒になる。
つまり、
過剰に反応する、喜、怒、哀、楽、
すべてに目を配り、
しっかりと自分の感情の●構造を、見極めておく。
そして感情に深く陥らないように、
いつも理性の縄をつけておくことです。
さらに感情が暴走したり、
感情に溺れてしまうと、
脳の理性機能にブロックがかかりますから、
頭がよくなるためにも、こういことが、
必要なのですよ。
頭が良くなる、とは、
脳が偏らず、縦横に、自由にインパルスが走り、
柔軟にそして効率よく、自分の脳が働くと、いう事です。
頭がよくなるためには、
●感情と理性とがちゃんと整理されていること。
●感情と理性が<団子>状態にならないことです。
それで漸く、自分の脳の主役になれるのです。
やっと脳を使いこなすことができる、と
いう事です。
主役として、
自分の感情と理性の構造を、知り尽くし、
●必要のない感情を捨て。
さらに
感情にはしっかり首輪をつけて
飼いならしておく、ということです。
つづく!


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