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◆親愛なるAさんへ、その4,自分の脳の主役になる!

昨日書いたように、悩むことを一つに絞り、つまらないことには

悩まない、ということの続きとして言うと。

この日本という国は、他人がどう思うとか、他人の顔色を伺うとか、

忖度するなんていう、つまらない文化をはびこらせてしまった。

しかし、そういう事に神経を使ったり、悩むことをやめたら、

人々はきっとイキイキしだすだろう。そして

若者も、それ以外の人々も、

その才能が光りだし、活かされると、私は思うよ。

この国は、

いかに人材を潰し、才能の芽を摘んでいるか・・・。

では、気持ちを改めて、今日のテーマ、

●自分を脳の主役にするとは、どういうことかというと。

自分は、自分の思い通りにはならない。

自分の中はなぜだか分裂し、

自分はもう一人の自分といつも格闘している。

というようなことはありませんか。

自分の理性では・・・でありたいと思うのに、

つい、その思いとは反対の事をやってしまう…という風にです。

今、ちょうど<あおり運転>の事件の裁判をやっていますね、

あの犯人なんかを見ると、

彼は、自分の感情のスイッチが入ったら

もうそれに乗っ取られて、理性が利かない状態で突っ走っています。

いきつくところまで行かないと、そのスイッチがオフにならない。

つまり人間は、感情的な自分と、理性的な自分の

二つの線路を、同時に走っているのです。

そして感情のスイッチは、

理性のスイッチが入る前にオンになりますから、

感情に囚われてしまうと、もう止まらなくなるのです。

そして、感情とは、もっとも自分のエゴや自己中心の

エネルギーなのですよ。

動物的な自己保存の本能というか、

自己防衛のエネルギーで

●感情は自分に固執するエネルギーが、

渦を巻くのです。

だから、自分の感情は、

・どのような時にスイッチがはいるのか、
・それはどのように加速していくか。
そして

・その時の自分の感情や思いはどんなものになっているか・・・。

ということに、

しっかり気づき、自覚していないと、もう

あの犯人のように感情が、

・野放しになってしまうのですね。

このブログで何度も書いていますが、

理性は、

●意識でトレーニングしないとなかなか身に着きません。

断っておきますが、反対に感情を押し殺して生きている人も

実は感情にとらわれている人なのですよ。

自分が感情的な人間だからこそ、感情を抑圧しているのです。

そして、

感情を抑圧して自分の中に封じ込めていると、

ある時それはもう耐えきれなくなって爆発、暴走します。

パンパカパンの風船のようになって、あとは爆発するしかない・・・苦笑!

つまり感情は、

常日頃から自分の感情を相対化して(ちゃんと見つめて)

理性でそれをコントロールできるように●トレーニングしておく必要が

あるのです。

それは攻撃的な感情だけでなく、

幼稚な感情である、自己憐憫や、感傷的な感情も、同じです。

困ったことに、感情に溺れるとそれは快楽ですから、

ついその甘味や旨味で中毒になる。

つまり、

過剰に反応する、喜、怒、哀、楽、

すべてに目を配り、

しっかりと自分の感情の●構造を、見極めておく。

そして感情に深く陥らないように、

いつも理性の縄をつけておくことです。

さらに感情が暴走したり、

感情に溺れてしまうと、

脳の理性機能にブロックがかかりますから、

頭がよくなるためにも、こういことが、

必要なのですよ。

頭が良くなる、とは、

脳が偏らず、縦横に、自由にインパルスが走り、

柔軟にそして効率よく、自分の脳が働くと、いう事です。

頭がよくなるためには、

●感情と理性とがちゃんと整理されていること。

●感情と理性が<団子>状態にならないことです。

それで漸く、自分の脳の主役になれるのです。

やっと脳を使いこなすことができる、と

いう事です。

主役として、

自分の感情と理性の構造を、知り尽くし、

●必要のない感情を捨て。

さらに

感情にはしっかり首輪をつけて

飼いならしておく、ということです。

              つづく!

香本さんの絵が我が家に来ました!
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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