若い頃、今から50年くらい前、よく冨岡多恵子さんの本を読みました。
冨岡多恵子は、池田万寿夫さんの内縁の奥さんだった人です。
しかしその後二人は別れ、池田さんは、バイオリンニストの佐藤陽子さんとくっ付いちゃったのですが。
池田万寿夫さんも、芥川賞の授賞式に、ジーパンにサンダルだか、雪駄ばきだかで行ったという話しが
私は大好きで、その自由さや奔放さは、憧れでした。
反対に、冨岡多恵子さんは硬派の評論やエッセイを書く人で、
当時学生だった私は、いつも人生の先輩の意見を読む、と言うスタンスで、
彼女の本に食いつくように、読み漁りました。
その中で、本当のフェミニズムとは何か、と言うフェミニズムの根源的な原想として、
今も私の頭の中に残っている冨岡さんの女性分析があります。
それら水商売の女性達に対する分析でした。
家庭夫人(当時の言葉です)や、一般の女性たちに比べ、
自分の容姿、社交能力、そして性を相対化して、
ビジネスパフォーマンスとしてマネージメント(商売)できる事は、
一つの優れた能力であると、冨岡さんは書いておられました。
それは、女性でありながら、男性社会を逆手にとっている、
極めて、●男性的な能力である、と、そんな事が書いてありました。
当時はまだまだ、水商売の女性に対する卑下や差別が女性達の中にもあった時代ですから、
冨岡さんの主張は、私にとっては、目からウロコでした。
その頃、同じように、日本のフェミニストの集会に行って、
上野千鶴子さんらを見た時すごく失望したのとは、えらい違いでした。
つまり、どこにいても、どんな条件下でも、たとえそこが男性社会であろうと、
常に現実を冷静に分析計算し、女性という事を逆手に取り、
マネージメントの能力を発揮する女性達です。それは、同じように、
赤線の女性たちや、吉原の女性達についても、
そこを乗り切って行く時の凄みは、
きっと男なんか超えてしまう迫力があるのではないかと、
若い私は、気付かされた気がしました。
さきほど、電子書籍にする為の原稿「一葉の恋」の最終チェックを終えました。
多分、皆さんが知らない一葉さんだと思います。
極貧の中でスクッと立ち、女性ならではの世界観を持って、男性作家や世の中を凌駕してゆく一葉は、
やはり一級の女性(フェミニスト)です。
そしてなぜ廓を題材にした「たけくらべ」が、あんなに高踏なのか。
今日は、これまでにしますが、続いて、明治の、尾竹一枝、田村俊子、高村智恵子、
伊藤野枝、そして神近市子、など、思い出したら書いてみます。
本当に個性溢れる女性たちです。
ではまた。

コメント
コメント一覧 (1件)
久に読みに来ました!!
水商売ってとても男らしいですよね。男慣れしてる女性ってイケメンな雰囲気を纏っていて見惚れそうになります。