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◆今、ここから始まるその12,鬱や躁を卒業して、一隅を照らす人になれ!

鬱や躁に悩み、苦しんでいる人へ!

「一隅を照らす」とは最澄上人の言葉です。

だいそれたことを目指すのではなく、今ここに居る、

或いは,ここ有る、そのささやかな一隅こそ、

あなたの居場所であり、そこに光を当てる。

そして、できたら、自分への執着を手放して、

他者のために、小さな光となれるあなたになったら、

きっと鬱も去っていくと思います。

それはなんて素敵なことだろうと、私は思います。

5月2日に脳腫瘍の手術を受けて以来,

いまだあの世とこの世をうつつに彷徨う

入院中の我が夫、憲雄氏が常々言っていたことは

『インテリジェンスが高ければ高くなるほど、

人は遠慮がちになり、

稲の穂が垂れるように

謙虚になる』と。

人は遠慮がちに、自分を他者に差し出す。

そして、そっとさしだされたものを受け取る。

そこには、ことさらの自己顕示もなく、おせっかいもなく

ささやかに、人と繋がろうとするあなたがいる。

人間の存在なんてそもそもちっぽけで

限りがあって、大したことはできない。

けど、

それだけできればいいのです。

鬱になったら、そこらへんに寝っころがって

休んでいなさいよ。

私も若い頃、鬱になり、

家の傍の道端の小さな花に心が安らいで、

いつもその花にばかりに話しかけていた。

ところがある日、近所のおせっかいババア達が来て、

道路の掃除と称し、その花たちを根こそぎ引きぬいていった。

窓から、その様子を見ていた私は絶望した。

怒りが湧てきたけど、

どうしようもない。

だってそのババア達から見れば、雑草だもんね。

そんなもんですよ、世の中は。

デリカシーなんて、踏みつぶされてしまう。

でもね、それでも時間が経てば、

少しずつエネルギーが湧いてきて、

だんだん気力も芽生えてくる。

そしたら少しばかり、図太くなろう。

まあ、自分とは、そんなちいさな、つまらない存在だけど、

それでも鬱に漬かりこんでいないでさ、

感情ではなく、理性で生きる努力をしてさ、

いつか、

自分なりに、ちいさな片隅を照らす人間になったらどう!

ちいさな、自分のためにも、

遠慮がちに、それでもしっかりと、

自分の一歩を踏みだせばいいと

おもいますよ。

これで、鬱と躁を直すのシリーズはおわりだけど、

ただ「今、ここから始まる」はまだ続きます。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメント一覧 (3件)

    • トシエ様 ありがとうございます。やっとこの世に戻ってきたようです。コロナのために全く面会できないので、なかなか様子が掴めないのですが、ひとまず安心しました。

      • ああほんとによかったですね。
        顔を見て話をしなくては。

        田下さんもお大事にしてください。

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