文化とは、端的にいえば、その集団の、その組織の、その地域の、
その国の人々の知性が結集したものです。
つまり、そこに属する人々の経験と知性の熟成が結集したものであり、
だからこそ、個々の人間の生きざまこそが、重要なのです。
私達のこの国も、社会の中にさまざまな矛盾や不条理を抱えながらも、
それなりに歴史の中で、紆余曲折を経ながら、知的世界(文化)を築いてきたはずなのです。
しかし、それにもかかわらず、せっかく築いてきた、秩序、倫理、そして
道義や礼儀や信頼性や信用などが、今の時代、
少しずつ崩れているように思います。
モラルの低下など、おそらくそう感じておられる●大人は少なくは、ないはずです。
※ここではあえて大人としました。大人とは、未熟ではない、成熟した人間という意味です。
物質文明や、経済優先の社会は、少なくとも、
人間をど真ん中に置いたものでは有りませんでした。
更に金融経済という、博打もどきが闊歩する経済が世界を支配してしまいました。
また、終わりのない戦いのグローバル経済競争は、
エネルギーをめぐる熾烈さを生み温暖化の原因となり、
さらに、ウクライナ戦争は、食糧危機まで、生み出しています。
今の電力危機も、現代の文明がもたらす恩恵とセットの中にあります。
その恩恵を追求し続けるなら、こういう危機は当然これからも起こり得るものとして、
私達は覚悟しなければならないでしょう。
なんだか、綱渡りのような世界になってしまいましたね。
もうあまり時間がない私は、あとを託すしか有りません。
私自身を含めて日本人は、未来ビジョンとして、
どんな社会を作り出そうとしているのか。
それを考えねばならない、と私は、思います。
流れるままに流されるのではなく、
日本人ひとりひとりが、その知性を持ち寄り、
皆んなで考えなければならない。
便利で、安全で安心の為に、AIやテクノロジーロボットに依存し、
主役の座を彼らに、譲り渡してはならない。
私は、AIや高度テクノロジーを否定するのでは有りません。
それを含めた上で、私達は、未来社会を創造せねばならない。
社会とは、人間が創り出すものです。
だから人間は、社会に対して責任をもたねばならない。
その社会がどんな文化を創り出すのかに、責任があります。
それには、人間が人間たる所以である「知の世界」をしっかりと握りしめて、
一人一人の納得の行く、知的生き様の世界を探し、創り出して欲しいです。
実は私はかなり絶望感を持っていました。
しかし、今は違います。なぜなら、私が予想したより多くの人々が、
今の時代のおかしさや息苦しさや、この文明の行き過ぎに気がついているからです。
次回は、その事、その希望について書きます。

コメント