以前も書いたが、
太平洋戦争が終わった後、日本は戦争を放棄し、民主主義の国となった。
だから私は、世界は平和になり、
二度と戦争は起きず、
世界中に
民主主義が広がっていくだろうと、思っていた。
しかし、残念なことに、そうはならなかった。
歳のせいか、最近世界が淡々と見える。
若い頃と言ってもつい最近までだが、
私は自分のモノの見方がなんと甘かったのだろうかと思う。
民主主義も平和も、そうは簡単には成し得ないからだ。
そして、もう一点、私が見落としていた事がある。
それは、政治と政治家達が民主主義をちゃんと履行しているかで、それも大事だが、
一方で、
民衆が、国民が、民主主義の徒として、育っているか、で、
安倍政治は、まさにそれを、
そのボールを国民に投げた。
しかし、残念ながら、国民の側は、そのボールを受け取っていながら、
まだ、投げ返してはおらず、
時間は止まったままである。
つまり現状は、
まだまだ国民のほうが、
育ってはいないのだと、
私は思う。
政治がダメなのは、政治家だけがダメなのではなく、
国民も、ダメなのだ。
つくづく自分の甘さを思う。
もしかしたら、戦後のこの78年は、
日本人にとって、
民主主義のよちよち歩きの時代で、
人々が民主主義の徒として、しっかり育つには、あと100年かかるかもしれない。
そして、最後に書いておきたいのは、
民主主義とは、いわゆる主義ではない、という事。
だいたい私は、主義という言葉が嫌いです。
なぜなら、なになに主義として
思考を囲い込んだかぎりそれは、
偏狭なものになってしまうからだ。
私にとって民主主義とは、
相手の話を聞く。
そして、
相手も、こちらの話しを聞く。
という、
双方の正当な関係が、成立、保証される事であり、
感情的世界が拭い去られ、
理性と理知の世界が実現される事です。
昨日も書いたが、
昭和的政治手法の時代がおわり、
新しい政治が生まれるのか否か。
それは、まさに国民の側に投げられたボールである。
国民はそのボールをどのように投げ返すのか。
理性と、理知の世界とは、
ひとりひとりが、
考える、という事が
磨かれていく世界です。
まだまだ道は遠いかもしれないが、
その世界へと、是非辿りついてほしいと、願っています。

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