MENU

◆ 宗教とは何か、その2.。科学的世界と宗教的世界をどう止揚していくかが、次の時代の課題!

前回、科学的な認識では、

神を始めとする宗教神秘世界は、人間の脳の創造の産物であること。

心理の観点から、

宗教の本質は、祈りにあり、

ちっぽけな人間の心の浄化と

願いの成就であることを

書きました。

この世は自分の思うとおりにならないことだらけだ。

人間が自力で出来る事にはかぎりがある。しかし、

無力感に苛まれても、最後は祈りに託すことで、微かな希望を

繋ぐ。

私などは、はなから自分の限界がわかるので最後は良寛のことば

「騰騰任運」運を天に任せ、のほほんのほほん、のように、

あとは、大いなるものに

お預けする。

祈るなかで、私達はかろうじて、

抱え込んだものに、押し潰されることから免れる。

しかし、この祈りに世俗的な欲がついた途端に、祈りは不純になり、

そんなもの叶うわけがないのです。

たかだか生きても七、八十年の、人生の中でもがき続ける人間にとって、

森の中の神社や寺、そして町の中の教会もそこで祈ることは、

肩の荷を下ろし、さらに心の浄化の時でもある。

また、私は一日の始まりと終わりにささやかに祈る。

祈りの中に平安をみつける。

こうして人間を加護してきた宗教を、

集金マシンにしたり、政治の道具につかうとは、

なんと不謹慎な許されざる事であろうか。

しかし一方、人間も過度に宗教に依存する事も、欲どくしい。

欲どくしいから騙される。

騙すのがドロボーなら、

騙されるのはベラボーだと、

うちのおばあちゃんが言ってました…苦笑!

小さく弱い人間、社会の中で不可避に汚れや垢の中を生きざるを得ない人間が、

大いなるものの手のひらで、

一息つく、それが宗教の本質であり、同時に、在り方だと、私は思います。

今回、カルト宗教と政治の闇が明らかになり、その澱みに愕然としたが、

それでも多くの人々は、 

その汚れとは別の次元で、

清新に賢明に生きていると思う。

人間の脆弱さも卑小さも、

変わる事はないだろう。

その弱さとちっぽけさをかかえながら、

科学的世界と、宗教的世界を

どう止揚していくかが、

次の時代の課題になるだろう。

果たして人間の幸福はどこにあるか。

是非とも希望を見つけて欲しい。

香本博さんの作品です。

絵は香本博さんの作品です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする

目次