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◆宗教とは何か、その4、これからの科学の時代において、新しい理念と新しい精神世界が必要になる。

これまでの人間の歴史が、

大きな転換を迎えようとしている。

つまり科学によって、

人間が解明される事により、 

またA I社会に移行する事で、

これまでの人類史が、大きな

大転換を迎えようとしている。

その時、人間の精神世界をどう構築するかが、私達の大きな課題になる。

これまで宗教や哲学、さらに

社会の共同幻想に依存していた人間の観念、精神世界を、

科学の社会において、

どう構築するか。

それらに代わる精神世界を

どう構築するが、人間の課題になると私は考えます。

A I時代が進行するにつれ、

人間が、A Iによるデータと数字で、

仕分けされる社会になる可能性がある。

つまり、A Iが弾きだすコストや生産性や利益を優先するなら、 

それによって、

人間が仕分けされる事になりかねない事も起きてくる、と言う事です。

A Iが弾きだす数字で、

その人間が有用か無用かが決定されかねない社会です。

その時、人間の精神世界は、どうなるのか。

つまり、

データや数字以外にある、  

人間の価値はどうなるのか。

人間の人格や数字にはならない精神世界は、

どうなるのか。

それをしっかり視野と射程に入れていないと、

人間は無用と有用に仕分けされてしまい、

後の祭りになる可能性がある。

その時、

自分の生き方の軸をしっかり考察し、認識、構築していない人間は、

A I経済の中にアッという間に

呑み込まれていくかもしれませんね。

大きな人類史の過渡期にもう私達は足を踏み入れている。

それを思うと、今の日本の政治も、大衆社会も余りに古い認識の中にあり、

瑣末で、脇が甘い。

眠れる人々よ、今こそ、あなたがどう生き、

どのように自己世界を

構築するか、問われていると、

私は思う。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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