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シリーズ5「人類はどこでまちがえたのか」

「人類はどこでまちがえたのか」

これは3月10日、朝日新聞の「科学季評」に寄せられた、霊長類学者で元京都大学総長の、 山極寿一氏の記事です。

是非お読みいただければ幸いです。

     ◯ ◯ ◯

まず「人類は進化の勝者」という考えが間違っている。

そもそも類人猿は劣勢種であり、サルに比べて消化能力も繁殖能力も劣っていた。

弱かったから、熱帯雨林から草原へ逃げ出す為に二足歩行を駆使し、自由になった手で、

安全な場所で仲間と共食しながら生き延びた。

50万年前、肉食動物に狩られる存在だったのを槍で狩猟を始め、

集団規模を広げ、肉食動物からの脅威を防ぐことが、人類の社会力を育てた。

つまり「弱みを強みに変える」ことにより、進化してきた。

その共感力に満ちた社会に言葉がうまれた。

それが人間を勝者とみなす原動力になった。

言葉によって世界を切り分け物語にして、

出来事の因果関係を解釈し、自分達を主人公にして、

環境を対象化して世界を支配するようになった。

1万2千年前に農耕、牧畜が始まり、人間を主役にした考えのもと、

環境を作り替え、やがて、余剰食糧を生み出した事が、人口を増大させた。

しかし、定住と所有という農耕、牧畜社会は、個人や集団の間に多くの争いを引き起こし、

やがて支配層や君主を生み出し、大規模な戦争の温床となってしまった。

集団の争いは大規模になり、下克上の世の中を生き延びる為に、

キリスト教や仏教などの宗教が生まれた。

この時期に人間は、現世で苦しみあの世で救済されるという考えを抱くようになった。

しかし、これが人類が長い進化の過程で発達させてきた共感力を、

敵意を利用して拡大させる道を開いた。

もともと共感力は、150人程度の集団で働く仲間意識である。

しかし急激に社会を拡大し、顔も知らない人々が、

自己犠牲を厭わず助け合う為に支配層は、言葉を弄し、武力を強化し、

社会の外に共通の敵を作り団結する仕組みを作った。

それが今でも戦争の基本な考えとして、力を発してるいる。

産業革命は、それまでの家畜の力に頼ってきた人間の暮らしを、人工の動力によって拡大することに成功した。

しかし同時に自然の時間を人工的な時間に変える役割を果たした。

農村で季節の変化に従って生きてきた人々は、工場が立ち並ぶ都市に集められ、

管理された時間に従って、

生産性や効力を高める事に精を出すようになった。

その結果、自然界にはない製品を作り出せるようになり、

支配層だけでなく一般の人々も過剰にものを欲するようになった。

それが無限の経済成長を信じる思想を育て、海外へ進出して領土を広げ、

自国にはない産物を略奪する行為を正当化した。

大航海時代と植民地主義は、こうして始まり、

人々を生まれや育ちや外見で差別する考えか、今も根深い。

人類が成功者として、歩んできたという思想の裏に、実は間違えた道筋を辿った歴史が隠されている。

地球環境が限界に達した今、人間の足跡を検証し、正し道へと社会を向かわせなければならない。

現代まで、私たちは「過去へは戻れない」と思い込み、ひたすら前を向いて生きてきた。

しかし、そろそろ過去の間違いを認め、共感力と科学技術を賢く使う方策を立てるべきではないか。

それには言葉の持つ力を正しく認識し、

言葉以外の手段を用いた共鳴社会の構築を目指すことが必要性である。

個人の欲求や能力を高めることより、共に生きることに重きを置く。

管理された時間から心身を解放し、自然の時間に沿った暮らしをデザインする。

所有を減らし、シェアとコモンズ(共有財)を増やして、共助の社会を目指す。

それは長い進化の歴史を通じて人類が追い求めてきた平等社会の原則だ。

現代の科学技術はそれを可能にしてくれるはずである。

間違いを認めず、いたずらに武力を強化して、再び戦争に向かうことだけは、決してあってはならない。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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