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知性が深くなればなるほど、それは高貴になる。

野村朗先生作曲の「音楽の花束」を聞きながら考える。

昨今は品格や理知が消えつつある。

野村先生も一音一音魂を刻むように曲を作られていると思う。

先般漱石の「それから」を読み始めた時、

漱石の深い考察の中で、

その一行一行を汲み上げながら書いている事を感じた。

それは表の文もさることながら

行間の空白の中に見えてくる、

その奥の風景やありさまに、

意味がある。

音楽でいうならメロディーが舞い錯綜するそのフレーズと休符の間に、

喜怒哀楽などでは言い表せない、

繊細で深い思索が私に問いかけてくる。

それはまるで、

切なく懐かしく、存在を悼みねぎらい包み込み祝福するようだ。

文化とは何か。

知性が深くなればなるほど、それは高貴になる。

私は言いたい。

人間はね、簡単ではないんだよ。

人間は、ただ複雑なだけでも、

いけない。

磨き上げる知性をもたないとね。

悲しみや苦しみが積み重なったそこには目も覚めるような品格がある。

喜びはその後に来る。

猥雑なもの下品なものすら、 

それが浄化されてゆくプロセスの中から、

気品がうまれる。

その品格と美の世界を文化と言う。

その文化は深い深い闇の暗渠の泥の中から、或いは

深海の底から流れている湧水が、

やがて海上の空気に吸い上げられ、

新鮮な光の中に包み込まれる時

人間を新生へと導く。

昨今では、そういう深いものが希薄になったように思う。

それが私には残念でならない。 

人々よ、

地面にしっかりと足を埋めて安直に動くな。

そこでしっかりと世の中を見渡せ!

見渡したら厳しく正と負を選別し、

知性を磨き上げて欲しい。

そう思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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