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漱石と私、創作メモ1

やっぱりそうであったか。

今二つの本を並行して読んでいる。

ひとつは江藤淳の「夏目漱石」で

もう一冊は夏目漱石の「それから」

今朝江藤淳氏の「夏目漱石」の第二部まで読み終えた。

まだ残りの第三部、438ページがある。

大変な力作の評論である。

しかし私はかなり納得した。

やっぱりそうであったかと。

どういうわけか私は夏目漱石に惹かれ続けた。

最初は小学生の高学年に頃に読んだ子供向けのダイジェスト版「坊ちゃん」で、以来お手本どおりというか

青春時代を進みながら、漱石の本を追って読んだ。

それは年齢もあって極めて表面的にしか理解したできないものであったが、

痛烈なものはやはり「心」であり、

この作品は高校時代の夏休みの読書課題であり、私もかなり感激しながら読書感想文を書いた覚えがある。

ただ当時はかなり感傷的に読んだと思う。

人間の良心の呵責的に読んだと思う。

それに比べ大学時代に読んだ「行人」は大変な衝撃であった。

なんだか自分の異質性や社会からの没落感や、

解決不能な自分の心を、

そのままずっと未回答のまま生きてきた気がしていたが、

そしてやっと答えらしきものを見つけたのが漱石晩年の作品「ガラス戸の中」である。

私は自分の中にずっと漱石を引きずってきた気がする。

自分ではあまり意識していなかったが漱石の投げた石を心の片隅に置いていて、

その解決が私の人生の課題だったかもしれない。

私としては漱石とは無関係に良寛に出会い、ドストエフスキーに惹かれ続けたが、

今それが一本の線として繋がり

やっと明瞭に私の中に現れてきた。

これらの先達の中にあった深い心理の深淵がやっと私のそれと繋がって

私はホッとしている。

今回、あゝ、死ぬ前にこれが分かって良かったなぁ〜と、深く深く思う。

またやり直し。

漱石をやり直し!

その上で、何か書けたらいいなぁ、と思う。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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