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エッセイ48、自分の為のメモ、有名人を美化しない。みんな同じだよ。

宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩については,

高村光太郎や谷川徹三が絶賛する中、

詩人中村稔先生だけが、これは賢治敗北の詩であると見抜いた。

そして調べれば調べるほどこれは敗北の詩だと私も確信した。

そして樋口一葉についても中村先生の慧眼は素晴らしく、

一般的な一葉像とはかなり違う一葉を見抜いておられ、

私の分析とかなり一致している。

そこには、有名作家といえども、

私達と同じように、生々しく生きる人間としてみる視点がある。

また人間らしくあればあるほど、

作家ももがき苦しんでいる。

賢治を調べてあげればあげるほど、その神格化とは遠い、

未熟な人格の賢治が現れてくる。

つまり未熟ゆえの苦しみがある。

しかし言わしてもらえば人間なんてみんな未熟ですよ。

賢治は求道の賢人と祭り上げられた分、実像との落差が大きくなる。

特に保坂嘉内に対する賢治の国柱会への勧誘の強引さは、まさに

自己本位に駆られた賢治であった。

一方借金をしては平然と踏み倒したり、

女相場師顔負けに占い師久坂義孝の家に乗り込み、

色仕掛けで久坂をたらし込み、

金を引き出そうとする一葉は、

どうみても赤貧の中の親孝行娘とは

ほど遠い…笑

でもねー、逞しいね〜!

そこには、若くして家長となり

母親と妹を養わなければならなかった一葉の必死さがある。

生きることを甘く見ないとしたら、

この二人のその実像こそに、 

価値があると私は考えます。

そもそも巷間に流布される美談なぞがインチキ臭いのであり、

真実は泥臭く,人間である限り、

生きることは綺麗ごとではあり得ない。

そしてその泥臭い壁一枚隔てたところで、

どうしようもない自分の見過ぎ世すぎを、懸命にもがき生きようとするからこそ、

彫りの深い作品がうまれる。  

酷い目にあったと言う賢治は、軽率に農民を救おうとした自分に、

何度も自己嫌悪に陥ったことだろうし、 

後悔しては逃げたくなったであろうし、 

自分はミザントロピー(人間嫌い)でもあると言っている。

一葉だって田辺花圃が証言しているような狡く、すれっからしの一葉がいてもいい。

それこそ一葉はいつも金ぐりに困っていたからね。

しかし,私は仕入れた品を大風呂敷に包み,

それを肩に背負って運んだ一葉に感動する。

一葉も賢治もそれぞれが苦労したり、精神的に疲弊しながら作品を絞りだした。

その彼らの中に、

純粋で高邁な知的作品が生まれた事が素晴らしい。

空間を風のように吹き抜けてゆく賢治の言葉も

美しく流麗に流れる一葉の言葉も

もうそれだけで

彼らの何もかもを超越して、

キラキラと輝いている。

そして私は彼らの人生を追いながら、

励まされ、

楽しゅうございました。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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