ショパンのノクターンでどうしても聴きたくなるのは3番と4番で、
3番は最初の入りのフレーズから優しくなぐさめられ心が掴まれる。
4番はショパンの孤独が寂しく、それが慰められるようなフレーズから始まり彼の悲しみが溢れるように私の中で共鳴し、
泣き終わったショパンの涙が尽きたように曲は優しく終わる。
そしてどうしても何度もききたくなるのがマズルカの15番ハ長調O p24-2で、
それがどうしてなのか私にもよくわからない。ただ、自分だけの孤独の世界に寄り添ってくれている様な気がする。
シューマンでよく聞くのは小品集「子供の情景で、この作品集は若い頃自分でも何度も弾いた。
全体に繊細なやさしいシューマンの眼差しが満ちており、
素直で優しい私ややんちゃな私が見守られているようで、弾きながら楽しゅうございました。
そしてどうしても世の中から逃げたくなった時に聴くのが「森の情景」です。
最初の「森の入り口」はまるで爽やかな森の中で鳥の囀りが聞こえてくるような気がする。
こう綴ってみると、
やっぱりショパンに惹かれるのは私の悲しみかなぁー。
自分だけの孤独の世界に沈み込む私の隣にショパンがいる。
その一方で、
「森の情景」などを聞いていると一緒に森の中を思索しながら散歩してくれるシューマンの父性を感じる。
その「森の情景」の中で「予言の鳥」という不思議な作品がある。
そこでは奇妙に音が転がりながら、
あーかな、こーかな、と首を傾げながら思索を巡らせているシーマンがいるが。
次の「狩の歌」では一転して躁状態の中を突き進むシューマンがいる。
そして最後の曲「別れ」では
その自分を締め括ろうとしているシューマンがいるような気が、
私にはするのです。
そのシューマンは神経を患い苦しむ中、最後はクララに看取られ命が尽きました。
こうして見てみるとショパンもシューマンも、どこか自分と重なる部分があります。
とくにシューマンは感情の淵に溺れそうになる寸前で自分を引き上げ思索の中で生きようとしたが、
その答えを出せずにもがき苦しんだ。
それは今の私そのものだなぁ,とも思います。
ショパンは39歳,シューマンは46歳でその生涯を閉じます。
そして私は最近、
人生は成功しないでいいのではないかと思うのです。
ショパンやシューマンを見ているとそう思うのです。
そしてむしろ彼らの苦しみや悲しみ,そしてもがく様の中に、
キラキラ輝いている素晴らしいものがあり、
それが最終的に成功したか失敗したかなんてことはちっぽけなことで、
どうでもいい。
とにかくショパンもシューマンも懸命に生き、それがピカピカ光っている。
私自身、下らない事や矮小なことに囚われて煩う自分が嫌になる。
しかしそれでもそいいう自分を生きるってことが、
しょうがないけど、
生きて、命尽きるまで突き進むってことが、
生きるというかことではないかと、
そう思います。
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