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才能とは限りない自己追求の無限地獄との戦いでもある。

私は自分には才能がない,という事を熟知している。

熟知しているからこそ,たくさん努力した。

その努力の根底には、誰かの役に立ちたいという、私の燃えるような情熱があった。

それが唯一の自分が存在する意義のように感じていた。

この歳になって思うのは、

才能をナメんじゃないよ、と。

才能の兆しはあっても,

それが,確かな才能までになっていくのは至難の業でもある。

才能がホンモノとして開花していくには、

掘っても掘っても限りない自己追求の

無限地獄との戦いでもある。

本当は息苦しく、辛い世界でもある。

その掘り続ける時間の中で、

ひとつ掘っては「解」を見つけ、

次に掘ってはまた次の「解」を見つけ、

見つけては次の課題が起きて来て、

手探りしながら、自分の答えを見つけていく。

でもね、

その苦しみと喜びの無限サイクルでもがきながら

何かが確実に実ってゆく。

それは、おそらく、

世の中に認められるとか、

お金が儲かるとかの、

世俗的世界の埒外にあるもので、

尊いその人の「生」の営みでも有ると私は思う。

その才能が磨かれて深い光を放つ時、

きっとその才能は誰かの役にたっていると。

私はそう思う。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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