爺さんをデイケアに送り出し、出かけてちょっとばかり花を買ってきた。
ささやかに華やいだ庭を眺めながら、
反田君22歳のリサイタルでの演奏。
その繊細な,繊細な演奏をききながら、
この子(青年)が、
これほどの音楽表現の水準に行き着くには、
おそらくたくさんのことを捨てて(犠牲にして)きたのだろうなぁ〜と思ったよ。
私自身の子供時代と重ね合わせながら、そう思った。
4歳ごろから、いやもっと前からかもしれないなぁー。
毎日,毎日,親に見張られながらピアノの練習に明け暮れた。
よその子供達は遊びまくっているのに、私も目いっぱい遊びたかったよ。
しかし、遊んでいたら、親に連れ帰されて、ピアノの練習をした、
毎日,毎日ね。
子供時代の大切なもの,
たくさん失った気がする。
反田君のピアノも優しいよ。
それに音が深い。
薄暗いしずま(静ま)の中を、深い音がそっと流れていく。
なんだか自分の子供時代を思いだして涙が出てきた。
ちっとも自由でなかった私の子供時代。
反田君の弾くラベル「亡き王女の為のパバーヌ」は
遠くから聞こえる私の為の鎮魂歌のようで、
鎮まれ、私の魂よ。
反田君のドビュッシー「月の光」を聞きながらそれはやがて
ゆっくり光の中に消えていった。
庭のアズキナシの葉がどんどん黄色になってきた。


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