昨日のこのタイトルの記事については、
理解されるのは、かなり難しいだろうなぁ〜と思っていましたが、
意外にもFacebookで、8人の方がイイネをしてくださり、
ちょっと嬉しいです。さらに筆を進めます。
なぜ、経済の破綻やA I化が進むと、反対に大衆文化がおきてくるかというと、
人間は、そもそも生身で生きているからです。
詳しく書きます。
たとえば脳学者は、
脳については専門的に詳しいですが、それがイコール人間や社会について詳しいか、というと
そうではありません。
その典型が茂木さんですね。
彼は私から見れば世の中オンチです。
同じようにA Iや、テクノロジーの
科学者や技術者は、
それに於いては詳しく、もしかしから先駆的ではあっても、
人間や社会についての見識が深いか、というと、
そうではありません。
逆に科学者は、科学しか見えていない、
科学オタクになってしまう落とし穴にハマります。
人間が見えていない。
最近読んだA I作成に関与している600ページもある学者の本では、
彼はA Iを推進しながらも、明らかに、それに対する迷いが、
その文面行間から見えました。
更に政治や経済は、
本当は、
人間や社会に対する深い見識と認識、
更には思想、哲学に対する造詣の深さも必要なのに、
まーそんな人や学者はいますか?
私には見当たりません。
なぜなんですか?
残念ながら現代は、
全てが薄っぺらいのです。
もっというと、
人間とは何かが、
忘れ去られているのです。
特に
先進国の経済優先の時代において、
甚だしいです。
人間が生々しく生きる存在、動物である、という事が
ぬけ落ちて、時代が進行してしまった。
という事は、この時代が進めば進むほど、
その人間疎外に対する、
おおきな反動が起きて来るはずなのです。
疎外(阻害)され尽くす事に対する、
人間の抗議の反動です。
人間の生々しい、
感覚、感性、感情、情緒、そして
欲望,欲求からの、
反撃が起きて来る。
歴史はいつも、そういう風に、進行して来ました。
それが常に文化的という意匠を伴って、
社会の底の方から起きてきます。
私は、そういう文化が、
文化文政のあの絢爛豪華な大衆文化のように、
花開けばいいなぁ〜と思うのです。
化政文化では、
東海道膝栗毛の一九や、式亭三馬や、
蕪村や一茶やはてには、歌麿、写楽などなど、
もー素晴らしい花がさきましたね。
そういう人間性を取り戻す、
文化のムーブメントが起きて来ないと、
ダメなんですよ。
そしてもし起きてこないで、
大衆が沈黙のまま後退したら、
人間は終わりだと思います。
その頃、私は居ませんが、
もし生きてたら、
そういう文化に、マッチで火を付けてやろう、と
思います…笑![]()
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