いくら文明が進化し、時代が変化しても変化させてはいけないことは何か。
それを変化させてしまうと、滅びに繋がると私は考えています。
社会における文明の進化が先行し、それに否応なく取りこまれて自分がいきるしかない、
という私達の状況があります。
実のところ、どんどんスピードを上げていく時代に、
どうすることもできない私がいます。
私達が、ほんとうにそれを望んでいるかどうかなどお構いなしに
時代や社会が、そうなっていきます。
子規や漱石が生きていた明治という時代も
日本の文明が底からひっくり返されるというような大きな時代の変化が起きています。
そういう中で、漱石も子規も、新しい時代をどう受け入れるのか。
そして反対に、その時代に呑みこまれずに、自分達が失ってはいけないものはなにかを考えます。
彼らは新しい時代を受け入れながらも突っ張るのです。
時代に流されないのです。
ちゃんと自分が立っているのですね。
子規のことを素晴らしいな~と思うのは自分のスタンスを失わず、
時代を観察しては、考察し、容赦なく論評します。
そして結核性のカリエスに冒され苦しみながらも死の寸前まで、意欲的に生き、
そして書きました。
そこには起きてくる事象や物事を、常に、いったん自分の頭を巡らせてから精査し、
熟考して自分の結論を出してゆくという、
聡明な子規の生き方があります。
ものごとに対する厳格な自分と、それと伴に常に事象と距離をとる自立的な(自律的な)意志がありました。
意志は自分の<こころざし>に根差します。
その<こころざし>に照らし合わせながら、物事や事象を精査していくといったほうがいいかもしれませんね。
そういう中で子規の周辺の人間も時代に感化され、
人間としての中心軸である<徳>が薄らいでいきます。
つまり<こころざし>より金銭的に割り切るという人達がでてくるです。
※悲しいことに、経済優先の今の時代は、もうそういう軸のブレが止まりません。
子規より七歳下の後輩である寒川鼠骨という青年が上京してきます。
鼠骨は子規の所属していた「日本」という新聞社と「東京朝日」という新聞社とを天秤にかけて
報酬を値踏みして、入社を考えているところへ子規が、方言丸出しでいいます。
「人間は、最も少ない報酬で最も多く働く人ほどエライ人ぞな。
一の報酬で十の働きをする人は百の報酬で百の働きをする人より エライのぞな。
入りの多寡は人の尊卑ではないことぐらい分つとろがな。
人は友を選ばんといかん。
『日本』には正しくて学問のできた人が多い。」
以後、寒川鼠骨はこの言葉を胸に叩き込んで生きていきます。
子規は俳句においても、新しい試みをしました。
それはおそらく西洋の文化から吸収し、
さらに日本的文化に統合しようとしたのだと思います。
子規のそれに大きな影響を与えたのが、中村不折との交流ではないかと思います。
そのことを次回書きたいと思います。

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