子規のことを書きながらも、私は俳句や短歌の世界には
まったくの素人ですから、
そこに突っ込むことは控えます。
ただ「墨汁一滴」の中には、明治の画家中村不折のことが
書いており、
しかも多くのページを割いて書いてあります。
中村不折との出会いは、
不折が「日本」新聞社で挿絵を画いていたことから、
親しくなり、かなりの仲良しであったらしいです。
子規は当時開かれた美術展に不折と一緒に行っては,
絵画についての技法や、解釈や解説を不折から教えてもらい、
おそらくその鑑識眼を磨いていったと思われます。
不折自身の絵は、力強い立体で、リアリティーに富んでいます。
もしかしたらそのリアリティーこそが
俳句における写実ということと重なって
子規の頭を刺激したかもしれません。
不折の絵は「個」を鮮明に描いており、
それまでの日本画にはなかった「個」の自律的世界を
描こうとしています。
不折の画く線は、力強く、筋肉ひとつをとっても
その内側の躍動を描こうとしており、
平面的な日本画にはない、立体感と奥行と深さがあります。
不折の絵を見た時、私はすぐ北斎のデッサン画を思い出しました。
北斎もしきりに筋肉のデッサンを画いており、
それも内側の躍動をいかに線で描き切るかを模索しています。
北斎も江戸の末期、西洋文化が入ってきて、おそらく
西洋画とその手法に刺激され、覚醒したと思われます。
北斎も浮き世の伝統的既成観念の枠を突破して
遠近法を用いた斬新なデザイン的世界に挑んでいるように
思います。
子規によれば、不折はいつも汚い着物を着て…苦笑!
全生活を絵を画くことに注ぎ込んでおり
その気迫には素晴らしいものがあります。
その不折を揶揄しながらも子規の温かい目があり、
さらに不折から学び、それを自分の俳句世界に用いて
統合をはかろうとしています。
人間や世界を立体的に描いてゆく。
人間だけではなく、木々や花や風景を
立体的に浮き彫りにしながら、
具体的な写実のイメージを通して、
感覚入力された感性が繰り広げる世界。
感性が想念の奥にまで広がり、
抽象的世界を貫徹して顕われる美の世界です。
自己と外的世界をイメージで統合し、
展開していく俳句の世界です。
また、それまでの日本にはなかった「個」という概念と
自分のオリジナル世界を具体的に言葉で絵画化してゆくことを
子規は試みようとしたのではないかと
思います。
不折とその絵画の世界を通して、さらに子規独特の宇宙が
造形されていったように思います。
そして、
子規の中ではまだまだ、写実的であった俳句という言葉の世界が
河東碧梧桐や伊藤左千夫や岡麓に繋がれ、
さらに荻原井泉水や尾崎放哉や種田山頭火へと、
ジャンピングしていったと
思います。
それは、新しい俳句の世界であり、
感性が知性を包括しながら
シュールな世界へと昇華して花開いたと
思います。
なんて素敵なんでしょう・・・!!
不折の絵の世界は
子規によれば「筆力勁健にして凡ならざるところあり」というほどに
確かに力強く、しかしそこには一風の薫風が吹いています。
いわゆる西洋からの借り物ではない、
日本の風土の言葉の中から
シュールな世界の種をみつけようとし、
その種を撒いたという意味で、
子規はすごいな~と思います。
また、その50年前の江戸末期にも
なにか、新しい世界を描こうとして北斎がいたことも
すごいな~と思います。

コメント