◆正岡子規考7、脳の中は日本より広い!

明治になって、西洋からたくさんの知識が入り、

それが漱石や子規の脳の中で咀嚼されていく時、

新しい知識に呼応し、イメージする力とそれを受け入れる大きな器とを

二人ともが持っていたかもしれませんね。

つまり頭が柔らかいのです。

その柔らかさが、それまでにはない、

文学や俳句の世界を創りだしたのではないかと

私は考えます。

例えば子規が「芭蕉は巧みであるが、面白くない」というとき

私はハッとさせらるのです。

もしかしたら、万葉から始まる和歌の世界は

それが歴史の発展する中で、

芭蕉において、技巧と技術がいよいよ煮詰っていたかもしれません。

それが壁になっていたのを、突き崩して

もっとおおらかに、普通に、自然に、自由に詠む、ということを

子規が考えたのかな~とも思います。

さらに

漱石においては、日本の文学の

おもしろき、滑稽の世界から、

さらに思想や哲学をも範疇にいれ、

人間の内面を照らすような小説を

模索したのかな~と

思うのです。

そして、

この二人が友人であったことが、奇跡的というか

スゴイです。

子規の周囲には、様々な才能の人達が

彼を囲んでいます。

俳句の高浜虚子や河東碧梧桐、寒川鼠骨他の同人たちだけなく、

ジャーナリストの陸羯南や芸術の中村不折、浅井 忠など

日本の先駆的文化人が子規を囲んでいます。

羨ましいな~と思います。

それも、物事を曖昧にせず、

古典のものや、

権威あるものに、歯に衣着せず、

どんどん斬り込んでいく子規だからこそ、

新しいものを求める人間や、

前を向いて何かを模索する人間が

集まってきたのかなと、思います。

漱石も<漱石山房・木曜会>には

寺田虎彦や内田百閒や芥川龍之介や、多くの

人材が集まって来ました。

漱石が言っているように

頭(脳)の中は日本より広い!

その通りですよ!

脳科学すらない時代に

もう、自分の脳の中の可能性を感じていたということですね。

私も云います。

脳は空より広いか?

ただ、

それを可能にしていくには

やはり、脳にブレーキを掛ける、自分の姑息な感情を捨てねばね!

子規も漱石も、来る人拒まず、という風でありました。

今とは違うおおらかな時代のことで、

だからこそ、その周囲には、才能のある人材が

集まってきたのでしょう。

そう思うと今は生きづらいですね。

自分の世界なんて、ちっぽけで限られたものです。

そこにバリエーションに富んだ知識や情報やヒントをくれるのは

まぎれもなく他者です。

そう思うと、もう余り時間がない私ですら、

まだまだ、人間や世の中を知りたいと思う限りです!

熊谷守一の「とんぼ」のハガキです
よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする

目次
閉じる