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◆正岡子規考6、漱石と符号する!

よほど子規のことが気になっているらしく、夢の中でも「子規の近代性はあの空間意識で・・・」と考えている私がいます。

子規の中にある大きなスケールの空間意識、俯瞰的景色の全貌を把握しようとする試みには、

それまでの日本のお座敷的空間にはないものを感じます。

日本的空間としての、四畳半や何畳かの座敷において俳句をひねるのではない、

そういう座敷の空間を遥かに超えたスケール感を感じるのです。

もしかしたら、四国から東京へ上京し、

明治になって新しく入ってきた西洋文化の絵画や彫刻、文学、哲学に触れるたびに、

彼の頭の空間がひろがっていったのではないでしょうか。

彼の中で俳句も、日本的フレームのこれまでのお座敷的限界を超えて、

より創造的な広さの中で、抽象的に、シュールな世界へと到達していくということに

気づいたのではないかと、私は思います。

それで思い出すのは子規の親友漱石です。

子規が持っているシュールな空間意識とスケールは

漱石が「三四郎」の中で広田先生に語らせる以下の言葉と符牒するのです。

三四郎は東京へ向かう列車の中で出会った広田先生と話します。

熊本より東京は広いか、というという話から始まる以下の会話です。

広田先生のことばで三四郎は、

『「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で ちょっと切ったが、

三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

「日本より頭の中のほうが広いでしょう」』

頭の中がいかに自由で無限大に広いかを教えられます。

この、漱石を読むと、子規も漱石も、おそらく脳の世界ということを、

どこかで対象化していたのではないか、と、私は考えます。

それが子規の場合は、芭蕉は巧みだが面白くない、という論評になり、

逆に蕪村の大きな空間性を評価したのでないでしょうか。

中村不折から西洋絵画のデッサン世界とモチーフの中にあるリアリティーを学び、

そこから更に創造的に派生するもっと奥の抽象世界への試行を

子規自身が俳句や短歌のなかで考えていのかな~と思います。

子規が死んだあと、漱石はどんどん思考と論証の小説を書いていきます。

つまり、漱石はしきりに考えるのです。

そして過去と未来、文明と文化を大きく見渡して人間の存在と苦悩を考えていく、

漱石の文学世界が生まれていきました。

ただ、漱石も相当苦しんだと思います。

小説「行人」には、その苦悩があふれ出ています。

「仰臥漫録」を読むと、

病気による壮絶な痛みや、寝返りすらできない寝たきりの苦痛の中で子規の精神がいかに、

その脳と格闘したかにいたたまれない気持ちになります。

体が死と同じ状態に近い中子規にとっては、

書くことと、話すことだけが自分のエネルギーを放出できる手段でした。

それが何らかで閉ざされると精神錯乱を起こしそうになります。

苛立ちと怒りの感情、つまり強いエネルギ―を放出せずにはいられず、

家族に逆上したり、大泣きをしてしまいます。

さらに自殺を思いたちながらも、それをこらえ思い直そうとする自分と格闘します。

死は恐ろしくない、しかしこの痛みの苦しさからは解放されたいと

カミソリや小刀や錐で自分を始末しようと思うのですが、制します。

しかしそこには悲観や自己憐憫などありません。

そこが子規の凄いところなのです。

死を思いとどまって、その錐と小刀の絵を写生します。

子規と漱石、二人ともが自分という個の小さな世界を超えて

人間の存在とその可能性について挑戦し、考察を重ねました。

「仰臥漫録」を読むと子規の精神の高さを思い、静かなる感動があります。

そして付け加えるとすれば、この二人を囲んで、やはりこころざしを持つ友人や弟子が達が集まりました。

漱石の木曜会には、芥川龍之介や久米正雄や内田百閒などなど、

子規庵の「根岸短歌会」には高浜虚子や河東碧梧桐、伊藤左千夫や岡麓や長塚節、

そして寒川鼠骨などなど。

そういう子規と漱石を、どう言う風に言葉にすればいいか。

やっぱり、ダンディーかな~!と思います。

人間として、とてもダンディーです。◆

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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