我が家の裏隣に住んでおられる奥さんが、
拙著「原色の女」を読みたいとのことで来られたが、
実はもうこの本は絶版になっているため、
本をお貸しした。
先日本を返しに来られ、その時、
「これは恋愛小説ですね」と言われた。
あゝ嬉しい、そうです、まさにこれは<恋愛小説なのです>
つまり女の側(智恵子の側)から書いた、恋愛小説なのです。
男の幻想の恋愛小説ではなく、
なまの女を、愛してほしいのですね。
女と男はまったくのベツモノで、
女は生まれたその瞬間から少女のしなやかな感性があり、
繊細な美の感受性やそして大地のような
生命力があります。
そして、確かに、
男とは違う言葉が脳をかけ巡っているはずなのです。
高村光太郎の妻、智恵子さんも、
脳の病が発病してから、つまり
男社会の蝶番がはずれると供に、
なんとも逞しい智恵子さんと一方
美しく繊細な彼女の感性が溢れ出てきました。
女たちよ、自分の女の言葉を語りなさい。
しかしその言葉は、男に媚びるものではなく、
はっきりと、明確に自分の女としての意志を伝えるものでなくては
なりませんよ。
智恵子さんをはじめ明治から大正にかけての女たちは
もしかしたら、今より自由で情熱的だったかもしれません。
特に「青鞜社」とその周辺にいた女たちは、
とても生き生きと自分を発信していたかも
しれません。
私も、もうそこいら辺の記憶がどんどん消えていきます。
消えないうちに、すこし書いておこうと思うのだけれど。
ただ、
女たちに言いたいのは、
男に対峙し、
自分自身の内部から沸き起る女性性の逞しさ、明朗さ、
そして優しさに目覚めること。
それは対峙であり、決して対抗ではありませんよ。
対峙とは、自分の存在を明確にし、
その存在に自信あふれ、自己をまっすぐ遂行することです。
平塚らいてうさんの言う通り、
「元始女性は太陽であった」の
だからね。



コメント
コメント一覧 (2件)
先生、「自己をまっすぐ遂行する」素敵な言葉ですね!
「沸き起こる女性性の逞しさ、明朗さ、そして優しさ」を自覚して、対抗ではなく、凛として対峙するのですね。
相手は男だけではなく、社会の全ての関係において。
先生の女性へのエールは、年齢や国や環境に関わらず、全ての女性に届きますね!
『拝啓 宮沢賢治さま』は、全ての人へのエールだと思いました。全ての人が人生で必ず経験する挫折を「それでいいんだよ」と言ってくれていますね。だって宮沢賢治だってそうやって頑張ったんだもの…と。
今の日本は、間違いを許さない生きづらい社会にますます向かっているように感じます。先生の言葉がもっと広く伝わるといいなぁと思いました。
新米ファンの私としては、もっと先生の言葉を読みたいです。もっともっと書いてください!
それから、蛇足ですが、私はとっくに奥さんじゃないんですよ。
弘美さま。コメントをありがとうございました。
その通りです。賢治も智恵子もみんな挫折し、もがき、それは人々がみんなそうであるのと
同じです。
とかくジェンダーの問題になると、すぐ制度やシステムの改革へと発想が飛びますが、
勿論それも大事ですが、いちばん大事なのは、女性たちが毅然とした誇りと自己肯定をもつことです。
さらに人間は、どんな人間も差別や偏見やそして非合理な扱いの中を生きなければなりません。
それは人間の属性、すなわち本能的欲望を理性で磨き克服しなければ、
いくらシステムや社会制度を変えても、ダメな人や弱い人はそのままになってしまいます。
先般映画を撮りました時、田植えをするバッチャ達に会いました。
おそらく昭和の農家の嫁として重労働や差別を受けてきたであろうそのばっちゃ達の
明るいこと、そして逞しいこと、ほんとうに素敵でした。
生きることはたくさんの失敗や挫折や苦労の末に、理性(前頭葉)が成熟していくことであり、
それをたくましく超えていく女達こそ、眩しいと私は思います。
それと奥さんじゃないとのこと、まったく事情が分からず、ですみません。
いずれにしても、お互いにおもろく、たくましく、そして優しくいきていきましょう!
メリークリスマス!