時々娘がため息をつきます。
「私は何の為に生きているのだろうか?」と。
すかさず私が言います。
人間は欲望の為に生きているのではありません。
もっと高邁な世界を作るために生きているのです。
欲望の為に生きるのは、動物やサルの次元です。
しかしこう書くと霊長類が専門の山極先生に怒られるかもしれませんね。
いや猿やゴリラの方がよっぽど優しく慎み深く、お互いの為に生きてると…!
◯ ◯ ◯
漱石が「行人」の中で伝えたかったのも
留まるところを知らない人間の欲望が為す科学技術の世界の事です。
留まる事を知らない人間の欲望を乗せた科学の世界は、
やがて人間を恐ろしいところへ運んでしまうだろうと、漱石が予感したのだと思います。
それは科学が恐ろしいというより、
人間が持っている欲望の、
恐ろしさです。
と同時人間の愚かさでもあり、
もしかしたら、愚かさが為す欲望こそが、人間を滅ぼすかも知れませんね〜。
その道具に科学技術が使われる、という事でしょう。
人間の欲望とは何か。
その欲望の果てには何があるか。
それを極めようとしたのが、ドストエフスキーと漱石だと思います。
ただ、
漱石の小説もドストエフスキーの小説も、かなりの高い読解力を持っていないと分かりません。
筋(ストーリー)だけを追っているとそれは見えません。
ストーリーの奥に蠢き、もがき、足掻き、傷つけあい、否定し合う、
人間の業の世界が描かれており、
最終的には破滅へと進行していくのですがしかし、
ドストエフスキーや漱石が、その業が破滅していく世界を伝えたかったか、というと、
そうではないのです。
彼らは二人ともが、
その先ある世界を探してたのです。
その業の世界で苦しみ抜いた先にある人間のある世界、
その闇を突破して開いた、
そのある世界を、
彼らは描こうとしたのだと、私は思います。
それは何かを書く前に、
人間の業とは何かを、脳と心理の世界から書いていきたいと、思います。
つづく。

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