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エッセイ50、なぜ人間の脳は他人も自分も幻想化するのか?

エッセイ50、なぜ人間の脳は他人も自分も幻想化するのか?

なぜ人々は有名人や、それだけではなく他人を美化したり幻想化するのか。

そして、

その幻想が剥げ落ちた時はガッカリするのでしょうかねー。

ずいぶん勝手な話しですよね。

ただね、それは、脳の機能がそうだからです。

つまり私達の脳は常に仮想的世界を構築しながら、

現実を超えていこうとするのです。

そして自分自身についても、

私達は無意識に◯◯でありたいと、

理想化した自分を目指して生きています。

そして意識は理想化した自分と実際の自分とを

⭕️混同し、

まるで理想化した自分が、

実際の自分であるかのような、

錯覚,勘違いをしてしまいます。

それを自己幻想といいます。

つまり自分をも幻想化してしまうのです。

意識で自分を客観的に検証することができる人は、

理想と現実の落差を自覚することができますが、

それには高い知性や知能が必要です。

多くの人々はそのことに対してむしろ無自覚であり、

自己幻想の中を生きています。

だから人は簡単人に他人をも理想化し、

⚫️その幻想に依存し、

他人が自分の理想から外れるとガッカリします。

同じように自分が自分の思い通りにいかないと、 

⚫️これまた自分に失望してしまいます。

それが自己幻想が覚めた瞬間です。

自己幻想が冷めると共に、

自分の実際????等身大の自分や

社会の現実のことがよく分かっていきます。

人間が成熟すると言うことは、

この自己幻想が醒めて(冷めて)いく、

という事でもあります。  

人間と社会とが、

自分が仮想したより遥かに厳しいことが分かってくるのですね。

つまり、

人間は表面意識は常に、脳の仮想世界を生き、

本当の自分は無意識の裡にあり自覚できず、

その落差,誤差の中で悩み、格闘するのです。

大切なことなので、賢治には悪いが、

ひとつの例として、

はっきりと書いておきます。

宮沢賢治の誤算は、

トルストイに憧れて、自分を理想化してしまったことですね。

逆にいうと、金持ちの息子で裕福であり、

現実の厳しさを知らない故に

世の中を甘くみてしまいました。

自分の理想が簡単に実現できるように思いこむ一方で、

自分を農民を救う人間だと自己幻想化したのです。

しかし、よくよく考えると、

人間はとうていあの「アメニモマケズ」のような人間に、

なれるわけがありません。

それを理解できなかった当時の賢治は

人間観察が足りないと同時に、

精神世界が幼いです。

確かに勉強ができてインテリジェンスが高いかもしれませんが、

人間を観念的にしか、

捉えられなかったのです。

観念的にしか人間を理解していないから、

簡単に理想を口にしたのです。

ところが賢治が救おうとした農民の世界は、

賢治が考えるよりもっと苛酷で厳しい現実でした。

そしてここが大事なポイントですが、

その苛酷で厳しい現実を生きている、或いは、生き抜いている農民は、  

教養や知識は賢治より劣っていたかもしれませんが、

もしかしたら⭕️賢治よりずっと逞しく現実を生きており、

⭕️地を張って生きている人間の、

生命力や忍耐力が、賢治よりは格段に優れていたかもしれないのです。

その素晴らしさに、賢治は気づいていませんでした。

はっきり書きますけど、

自分を救世主のように設定し、

上からから目線で見ていた農民の方が,

賢治より上の次元を生きていたかもしれないのです。

だから、賢治は農民の反撃にあい、

ボロボロになっていきました。

羅須地人協会時代の賢治が,

どれほど周囲の農民の目を畏れ、怯えていたか。

賢治を讃美する書物は山のようにでていても、

この視点からは、誰も書いてはいません。

賢治の覚醒とはまさに

自己幻想から醒めて(冷めて)いく過程でした。

さて、本日の本題、なぜ、人間は、

自己幻想に陥るか?を書きます。

実はそこに、

人間が獲得した、

人間が人間たる所以が潜んでいるのです。

    ◯

人間はその人が生きているその場こそが、

その人の等身大の現実であり、現場です。

そしてなぜ人間が仮想するかというと、まず人間は、

自分の無意識がみているリアル現実を逆転して、意識化します。

そのことは、前に書きましたね。

そこにある心理は、リアル現実と現場を、

⭕️なんとかしたいという無意識領域での覚醒(気づき)があります。

だから、それをカバーしょうとする、

無意識領域での、脳の働きがあるのです。

つまり、人間は

自分が今(無意識領域で自覚されている自分)よりもっと、

素敵に生きたいのです。

他人達に、

自分が理想とする人間のように見てもらいたいからです。

現実では、失敗したりつまずいたりしても、

それを超えてなお、自分が仮想(イメージ)するように、

生きたいのです。

だから、

無意識で見えている自分に甘んじず、

もっと良き自分を目指してしまうのです。

それは無意識において、

人間が希求していることです。

人間は、

⭕️明日こそは素敵な自分になろうとするのです。

皆さんも無意識の裡に,そう言う自分がいませんか?

それはどんな人も、そうなのです。

どんな人間も,

明日こそはもっと失敗してやろう,つまずいてやろうとは、思わないでしょ。

そして眠りながら

脳をリセットして生きているのですね。

有名人もすごく優れていると思われている人も、そうではない人々も、

みんな、みんな、

そう言うふうに、

自分の人生と格闘しています。

その格闘の中からさまざまな生産性がうまれてきます。 

ひらめきやアイデアがね。

勿論芸術性もそうです。

つまりそれが人間の創造性の起点です。

それが、人間の実態であり、

実相です。

この視点から人間を見ると、

すべての人の人生は等しく、

尊いと私は思います。

その大変さや、しんどさの中を,

賢治も、一葉もが懸命に生き、

皆さんも生きている、ということです。

そして、それが、すなわち、

創造へと結実していきます。

しかし断っておきますが、

それは決して安易な道ではありませんよ。

例えば高村智恵子さんなどは、

自分の精神世界が壊れながらも、

紙絵を描いたのですから。

つまり私が彼らの生き様をとおして書き、皆さんにお伝えしたいのは、

すべての人の人生は、

いつも、

創造の契機を孕んでると、いうことです。

そしてそれはその人によってさまざまに、形や内容を変えて、

そうなのです。

有名であろうと無名であろうと、

芸術的であろうと、極めて平凡であろうと。

そこはその人が、苦労しながら

その人だけしか作れない、

創造の世界なのです。

だからご自分それぞれの生き方を

大切にしてほしいのです。

昨日書いたように、

皆さんの人生も、

私達の人生もが、

素晴らしいのです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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