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エッセイ51 自己幻想が全否定されたところから、自己覚醒(成熟)が始まる。

自分がもう立ち上がれないほどに、

自己幻想が全否定されたり、挫折して、

初めて世の中というもの、そして社会と人間が見えてきます。

人間が悩むということは、

自己幻想に囚われて世の中や社会や自分以外の他者が見えていないからです。

では、世の中というのは何かというと、

人間のエゴや欲や感情が作り出す世俗的なあれこれです。

では社会とは何かというと、人間が生存する為に、 

人間全体で創り出す、

共生する為に必要な法や規範や共同の倫理や思想や仕事です。

自己幻想とは,世の中や社会や他者を、自分の小さな思いこみと、自分の願望で、自分を理想化した錯覚ですから、

実際の世の中や社会や他者と比べるとそれは、小さな貧しい自分の思い込みの世界でしかありません。

世の中や社会や何億という他者の群れからするとまるで、

未熟で偏った粟粒より小さな自分の世界です。

そんな小さな貧しい世界にいながらまるで世の中や社会や他者の群れを

わかったつもりになったり、

自惚れたりしているだけですから、

当然、世の中や社会や他者の群れとぶつかったら、微塵もなく潰されてしまいますよね。

潰されて、叩きのめされてやっと、

いかに自分が世の中や社会や他者のことを殆どが分かっていない人間であり、

その知識量も情報量も大したことの無い人間であることを、

自覚できるのです。

自己幻想の自惚れや高邁になった鼻をへし折られ、地に這いつくばって初めて、

世の中や社会や他者の実際の姿が、

少しずつ見えてくる、というわけですね。

つまり目の鱗が取れてくる,ということかな!

私も30代後半で,自分が一切を否定されるような挫折を味わいました。

その時わかったのは、

自分はまだ何も知らない、わかっていない,ということと、

自分がいかに傲り、いい気になっていたか,ということでした。

その時、自分はこの世の中で最も劣っていると落胆しましたがしかしそういう自分の中から、

ここから立ちあがろう、 

ここからやり直そういう決意が湧いてきました。

ところがね、

そこからも大変な道のりでねー…苦笑

行けども,行けども常に自分の

見識の甘さ,認識の浅さを思い知らされるばかりでした。

しかもまだ人生は終わっていませんから、

これからも、更に未知なる事に出会うでしょう。

それでもそのひとつひとつを解決しながら、

最後までこの広い広い海のように果てしない世界を探求して行きます。

ただ、あの大きな挫折と,全否定が無かったらおそらく私は、

自惚れと傲慢の自己幻想という、

薄っぺらい表面的なひとりよがりの人生で終わったかもしれませんね。

そう思うとあの挫折も、その後のたくさんの気づきも、感慨深いです。

感謝あるのみです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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