◆マグノリアの木その~人生が終わるということは悪いことではない~その2

乳腺の専門医に見てもらおうと考えた時、そこには二つの可能性がありました。

ただの・乳腺の病気かもしれない、ということと

もしかしたら・乳癌かもしれないという事です。

そこで病院に行く前に、もし癌であった場合、どうするか、という

自分の意志をあらかた決めてから行かないとなぁ~と考えました。

そして、もし癌であれば、私は治療をせず、

癌と共に生きよう、と決心したのです。

同時に私の人生の終点が来たのだと思いました。

そして私はなぜだかホッとしました。

その時私ははっきりと、

残りの人生をダラダラと生きたくない自分がいることに

気がつきました。

そして、もう十分どころか、十二分に生きたという満足感もあります。

随分頑張ってきたな~という感慨もありました。

さらに、終点がみえたことで逆に今、何をしなければならないか。

どうしたら、最後まで楽しく生きれるか、と思うのです。

するともう、脳の辺縁系がもたらす様々な感情にふりまわされなくてもすむ、という

安堵感や、

煩わしい世事に、我慢したり、合わせなくてもいいんだという解放感。

そして新しい時代に適応するための面倒くさいことからも

解放されるぞ!!・・という、安心といっていいのか、そういうもの包まれました。

さらに長生きするためのお金の心配からも解放されるし

逆に終点まで、もしお金(貯金)に余裕がみえたら、

更にやりたいことにお金をつぎ込めるし、・・・と。

何だかね、そう思うと、逆にどんどんエネルギーとファイトが湧いてきてました。

考えてみれば、

いつも、自分の脳の偏りや自我の偏りを叩いては

自分を修正し、

自我に言い聞かせて、自分を律してきました。

それは、それでもう大変だったからね!

そういう苦労からも、もう解放だあ~と、思うとね、

なんだか嬉しくなったのです。

あゝやっと、ここまで来たか!

「もう、これでヨカ」と言った西郷どんと同じ気持ちです。

立花隆さんの本だったと思いますが、

亡くなることを恐れず、むしろ

長生きしなくてもいい、という考えている老人が

案外たくさんいる、と書いてありました。

あゝ、私も同じだ、と思いました。

もしかしたら長い人生を経てくると

そういう境地に至るものかもな~とも、

思います。

多分、世の中の一般論とは、大きく違いますが、

そういう考えも、生き方もあるのだということ、

私はそれを書きたかったのです。

            つづく!

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする

目次
閉じる