松岡正剛著「うたかたの国」~日本は歌できている~を読むと、
漢字の伝来を機に、日本語の文字が出来ていくのであるが。
ふうつなら優秀なエリートをあつめて、中国語の読み書きを習得させ、
それを下におろしていくというやり方をする。
そのほうが簡単だし、新しく作る必要もない。
しかしそうすると日本は中国語を汎用する国になってしまう。
松岡正剛さんは、そういう展開になってもおかしくはなかったという。
つまり、日本は中国語もどきの言葉を使う国にになっていたかもしれないのである。
そう思うと私はぞっとするが。
しかし聖徳太子や蘇我馬子を始め、当時の文化人たちは偉かった。
漢字をそのまま翻訳せず、
縄文以来の、倭語の発音と意味をいかした、
日本独自の、独創的な文字へと漢字を変換していきました。
当時の文化人がなんと優秀であったか。
それまでの、語り部の暗誦で伝承されていた、音だけの日本語(倭語)が、
漢字の音と訓、つまり音と意味とで照査され、
微妙に文字へと変換されていったのです。
「帝記」「旧辞」を編集した川島皇子、忍壁皇子、
「古事記」を記した太安万侶も稗田阿礼も、素晴らしいかった。
阿礼が暗記暗誦する中、太安万侶は
その音と意味を確かめながら、日本語に適した漢字を選んでいきました。
日本は、素晴らしい秀才のいた国だったのですね。
さらに万葉仮名が創出され、平仮名が生まれてきます。
仮名の美しさは、音だけではなく、その文字のフォルム、線の美しさです。
更には、文における行と間(空間)の微妙な美しさです。
こうしてできあがっていった日本の言葉と文字の分水嶺のように、
後の日本の文化、能や茶の湯や立花、書院造、造園が、生まれてきます。
そこには、日本人独特の<線と間>があり、
その独特な意識と感性が美へと結実して行ったのですね。
私自身思うのは、ずっと人間の心理と脳の解明へと、
自分のエネルギーを突っ込んできて、それはそれでよかった。しかし
もっとはやく、この「日本の言葉と文化のすごさ」についても気づけばよかったと。
もうあと、時間がない。
けれど、その美しく、幽玄な世界を少しでも勉強し、突っ込めたらなあ~と
今、思っています。
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