よほど子規のことが気になっているらしく、夢の中でも「子規の近代性はあの空間意識で・・・」と考えている私がいます。
子規の中にある大きなスケールの空間意識、俯瞰的景色の全貌を把握しようとする試みには、
それまでの日本のお座敷的空間にはないものを感じます。
日本的空間としての、四畳半や何畳かの座敷において俳句をひねるのではない、
そういう座敷の空間を遥かに超えたスケール感を感じるのです。
もしかしたら、四国から東京へ上京し、
明治になって新しく入ってきた西洋文化の絵画や彫刻、文学、哲学に触れるたびに、
彼の頭の空間がひろがっていったのではないでしょうか。
彼の中で俳句も、日本的フレームのこれまでのお座敷的限界を超えて、
より創造的な広さの中で、抽象的に、シュールな世界へと到達していくということに
気づいたのではないかと、私は思います。
それで思い出すのは子規の親友漱石です。
子規が持っているシュールな空間意識とスケールは
漱石が「三四郎」の中で広田先生に語らせる以下の言葉と符牒するのです。
三四郎は東京へ向かう列車の中で出会った広田先生と話します。
熊本より東京は広いか、というという話から始まる以下の会話です。
広田先生のことばで三四郎は、
『「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で ちょっと切ったが、
三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」』
頭の中がいかに自由で無限大に広いかを教えられます。
この、漱石を読むと、子規も漱石も、おそらく脳の世界ということを、
どこかで対象化していたのではないか、と、私は考えます。
それが子規の場合は、芭蕉は巧みだが面白くない、という論評になり、
逆に蕪村の大きな空間性を評価したのでないでしょうか。
中村不折から西洋絵画のデッサン世界とモチーフの中にあるリアリティーを学び、
そこから更に創造的に派生するもっと奥の抽象世界への試行を
子規自身が俳句や短歌のなかで考えていのかな~と思います。
子規が死んだあと、漱石はどんどん思考と論証の小説を書いていきます。
つまり、漱石はしきりに考えるのです。
そして過去と未来、文明と文化を大きく見渡して人間の存在と苦悩を考えていく、
漱石の文学世界が生まれていきました。
ただ、漱石も相当苦しんだと思います。
小説「行人」には、その苦悩があふれ出ています。
「仰臥漫録」を読むと、
病気による壮絶な痛みや、寝返りすらできない寝たきりの苦痛の中で子規の精神がいかに、
その脳と格闘したかにいたたまれない気持ちになります。
体が死と同じ状態に近い中子規にとっては、
書くことと、話すことだけが自分のエネルギーを放出できる手段でした。
それが何らかで閉ざされると精神錯乱を起こしそうになります。
苛立ちと怒りの感情、つまり強いエネルギ―を放出せずにはいられず、
家族に逆上したり、大泣きをしてしまいます。
さらに自殺を思いたちながらも、それをこらえ思い直そうとする自分と格闘します。
死は恐ろしくない、しかしこの痛みの苦しさからは解放されたいと
カミソリや小刀や錐で自分を始末しようと思うのですが、制します。
しかしそこには悲観や自己憐憫などありません。
そこが子規の凄いところなのです。
死を思いとどまって、その錐と小刀の絵を写生します。
子規と漱石、二人ともが自分という個の小さな世界を超えて
人間の存在とその可能性について挑戦し、考察を重ねました。
「仰臥漫録」を読むと子規の精神の高さを思い、静かなる感動があります。
そして付け加えるとすれば、この二人を囲んで、やはりこころざしを持つ友人や弟子が達が集まりました。
漱石の木曜会には、芥川龍之介や久米正雄や内田百閒などなど、
子規庵の「根岸短歌会」には高浜虚子や河東碧梧桐、伊藤左千夫や岡麓や長塚節、
そして寒川鼠骨などなど。
そういう子規と漱石を、どう言う風に言葉にすればいいか。
やっぱり、ダンディーかな~!と思います。
人間として、とてもダンディーです。◆

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