明治になって、西洋からたくさんの知識が入り、
それが漱石や子規の脳の中で咀嚼されていく時、
新しい知識に呼応し、イメージする力とそれを受け入れる大きな器とを
二人ともが持っていたかもしれませんね。
つまり頭が柔らかいのです。
その柔らかさが、それまでにはない、
文学や俳句の世界を創りだしたのではないかと
私は考えます。
例えば子規が「芭蕉は巧みであるが、面白くない」というとき
私はハッとさせらるのです。
もしかしたら、万葉から始まる和歌の世界は
それが歴史の発展する中で、
芭蕉において、技巧と技術がいよいよ煮詰っていたかもしれません。
それが壁になっていたのを、突き崩して
もっとおおらかに、普通に、自然に、自由に詠む、ということを
子規が考えたのかな~とも思います。
さらに
漱石においては、日本の文学の
おもしろき、滑稽の世界から、
さらに思想や哲学をも範疇にいれ、
人間の内面を照らすような小説を
模索したのかな~と
思うのです。
そして、
この二人が友人であったことが、奇跡的というか
スゴイです。
子規の周囲には、様々な才能の人達が
彼を囲んでいます。
俳句の高浜虚子や河東碧梧桐、寒川鼠骨他の同人たちだけなく、
ジャーナリストの陸羯南や芸術の中村不折、浅井 忠など
日本の先駆的文化人が子規を囲んでいます。
羨ましいな~と思います。
それも、物事を曖昧にせず、
古典のものや、
権威あるものに、歯に衣着せず、
どんどん斬り込んでいく子規だからこそ、
新しいものを求める人間や、
前を向いて何かを模索する人間が
集まってきたのかなと、思います。
漱石も<漱石山房・木曜会>には
寺田虎彦や内田百閒や芥川龍之介や、多くの
人材が集まって来ました。
漱石が言っているように
頭(脳)の中は日本より広い!
その通りですよ!
脳科学すらない時代に
もう、自分の脳の中の可能性を感じていたということですね。
私も云います。
脳は空より広いか?
ただ、
それを可能にしていくには
やはり、脳にブレーキを掛ける、自分の姑息な感情を捨てねばね!
子規も漱石も、来る人拒まず、という風でありました。
今とは違うおおらかな時代のことで、
だからこそ、その周囲には、才能のある人材が
集まってきたのでしょう。
そう思うと今は生きづらいですね。
自分の世界なんて、ちっぽけで限られたものです。
そこにバリエーションに富んだ知識や情報やヒントをくれるのは
まぎれもなく他者です。
そう思うと、もう余り時間がない私ですら、
まだまだ、人間や世の中を知りたいと思う限りです!

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