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「空飛ぶ宮沢賢治」その7、高瀬露さんは悪女ではありません。

実は賢治はことごとく失敗と挫折の連続の中、最後の希望をもって
東京へ出かけたと思います。

ところがその唯一の希望も、泡のように消えていく中、
絶望し、結核の熱が出る中で
あの四行の経文を書き、自分を支えたのだと思います。

そして実はこの苦行のような自分を乗り越えた時から

いわゆる賢治の成熟がはじまるのですがその前に

ちょっと残念なことを書かねばなりません。

それは賢治の女関係で悪女にされてしまった

高瀬露さんのことです。

ほんとうに残念なのですが、

賢治を神格化して偶像崇拝した人たちは

賢治を偉人に祭り上げたその返す刀で

大変な汚点を残してしまいました。

それが「高瀬露」さんのことです。

始めに結論を言います。

高瀬露さんは決して伝えられたいるような悪女ではありません。

敬虔なクリスチャンであり、とても清い心をもっていた女性です。

彼女は遠野で小学校の養護の先生として、とても信頼されました。

なぜ、そんな高瀬露さんが悪女にされたかというと

「雨ニモマケズ」のあの手帳に以下のような賢治のメモがあり、

   聖女のさましてちかづけるもの
   たくらみすべてならずとて
   いまわが像に釘うつとも
   乞ひて弟子の礼とれる
   いま名の故に足をもて
   われに土をば送るとも
   わがとり来しは
   たゞひとすじのみちなれや

この言葉を賢治没後に、周辺の人間や研究者が詮索し、

いとも安易に安直に、

高瀬さんと結び付けてしまったのです、

犯人探しのように。

高瀬さんと賢治の間では、昭和2年におきたカレー事件のように

なんだかいろいろ齟齬がありましたよ。

そして、確かに,昭和4年に書かれた高瀬さんに対しての返信下書きでは、

賢治にとって高瀬さんのことが重荷になっているようです。

ただ、昭和4年の手紙では、高瀬さんの知性を考慮に入れて諭すようでもあり、また、

賢治のその意図を高瀬さんは受け止めたと思います。

そして以後は高瀬さんとの手紙もありません。

反対にこのメモは昭和6年10月24日に書かれていおり、

年月が過ぎているにしては、その恨みもなまなましすぎます。

そしてこのメモ帳は賢治が東京へ行ったときから書かれており、

東京で何かがあったはずなのです。

たぶんそれが賢治を激高させたという方が、妥当だと思うのですが。

では、賢治は何をしに東京へ行ったのかというと、

勿論仕事としての出張ではありましたよ。

しかし以下は私の推論ですが、まだ裏がとれていないので、あくまでも推論として

読んでください。

もしかしたら、花巻での限界を感じた賢治が、

東京で所帯を持ちながら再出発したいと考えていたのではないだろうか、と

いう事です。

なぜなら、昭和6年7月に

賢治は森荘已池に伊藤チエさんとの結婚をほのめかしているからです。

そしてチエさんもキリスト教系の幼稚園で働いていましたから、

クリスチャンかもしれないのです。

勿論チエさんも悪女なんかではありません。

そしてどうやら吉祥寺までは足取りがあるようなのです。

当時吉祥寺に住んでいた友人菊池武雄を訪ねているのですが、

留守のため、隣に住んでいた深沢紅子に本と土産を預けて帰ります。

そしてその近辺にチエさんがいたようなのです。

この件についても、

これから賢治を研究する人たちは、追跡調査をお願いしたい。

私の推論に戻りますが、もしかしたら、

賢治は自分が勝手にチエさんと結婚できると思いこみ、

それが、何らかの理由でダメになり、

自分の唯一の希望と抱いていたものがガラガラと瓦解し、

その恨みを書いたのではないかと思うのですよ、あくまでも推論ですが・・・。

そしてその絶望の中、熱に冒されながら、救いを求めて法華経を読み、

あの四行を書いたのではないかと

思います。

そして、そしてね、

そんな辛い中で、あの恨みの言葉を吐いたとしても、

賢治も人間ですから、それはそれでいいのですよ。

ただ、

もし、賢治がチエさんと結婚でき、東京で所帯をもったら、

新しい賢治の世界が展開できたかもしれません。

それは、もしかしたら自己犠牲の賢治ではなく、

今回私が「空飛ぶ宮沢賢治」で書いたような

作家としての賢治です。

科学の世界や、法華経の世界や、そして賢治が本来もっていた

豊かな言葉の才能が花開き、誰もかけないような

詩や童話や小説の躍動的な賢治ワールドを

展開したのかもしれません。

余り知られていませんが、賢治は小説も書いています。

しかし、賢治は傷を負い、何もかもを失い、

希望をみいだせないまま、再び

親の懐(共依存の世界)の中に帰っていきました。

さらに理不尽なレッテルを張られた高瀬露さんのことは

ずっとそのままに放置され、やっと最近、

高瀬さんについて書かれたことの信憑性についての

疑問がだされてきました。

どうも、森荘已池氏も、はずみ筆がおどってしまったのか、

軽はずみに露さんのことを脚色して書いてしまったようです。

ひとりの女性をこんな風に安易にレッテルを張ったこと。

それはもう大変重要な間違いです。

私はフェミニストとしても怒り心頭ですよ!!

そして状況から考えると、

これは単に露さんとかチエさんとかだけでなく、

賢治をそでにした

過去の女全員に対する恨みかもしれないのに・・・苦笑!

是非とも賢治の研究者たちは、高瀬露さん、そして

伊藤チエさんの追跡調査をして、真実を明らかにして頂きたい。

もう、ほんとうにそう願います。

そして賢治は確かに大衆に寄り添おうとしましたがm

決して通俗的ではありませんでした。

こんな低俗な、他人の人生をのぞき見するようなことで

賢治の文学を汚さないでほしいと思います・・・怒り!!

さて、すべての事が失敗し、故郷に帰った賢治がどうなったか、は

次回かきます。ただそれはね~、あの「銀河鉄道の夜」の中に、

実は

答えが有るのですよ~…ア~ァ、言っちゃった!

我慢しきれずに言っちゃっタァ~・…笑!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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