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「空飛ぶ宮沢賢治」8「銀河鉄道の旅」の謎を解く!その2

アインシュタインの<相対性理論>については、
なんとなくわかる気もするけど
でもなんこっちゃ、はっきりとは分からん・・・??というのが
私の正直なところです・・・笑!そして

実は<法華経>も同じように、だだっ広いというか、なんでもありで、

仏陀自身でさえ、

その教えは果てしなく無量に大きなスケールであり、
その本質については、
言葉なんかでは伝えられないし、

あんたたちの智慧では理解もできないよ、と言っているのですからね~苦笑!

つまり相対性理論も法華経も、あまりにスケールが大きすぎて

難解で、わけわかんないのが当たり前なのですよ。

このあんまり難しくて、分かんない!というのが

この二つの共通点です・・・苦笑!

ただ、賢治はそれでもいいよ、とそれを承知の上で、

相対性理論(科学)と法華経を、その高い理念のところで接合し、

合体させようとして書いたのが「銀河鉄道の夜」です。

共通するのは、両方ともが宇宙論です。

賢治は法華経の<宇宙を相対化した>というその科学性に

感動したのかもしれません。

実は「銀河鉄道の夜」は3回書き直されています。

一次稿と二次稿は銀河へ旅する童話ですが

三次稿になると、明らかに相対性理論を意識した文章が挿入されています。

ところが四次稿になると、これらの文は削除され、

代わりに冒頭の「午後の授業」「活版所」「家」が追加され、

最後にカンパネルラの死とお父さんとジョバンニのやり取りが

つけ加えらえています。

これは何を意味するかというと、

賢治は「銀河鉄道の旅」で本当は科学の世界と法華経の世界を合体させ、

科学的に法華経の正当性を伝えかったのだとおもいますが、

それを断念して最終稿(四次稿)ではそれをすっかり削除したと、いう事です。

法華経では、

釈迦の唱えた仏教は単に人間界だけではなく、

宇宙全体にひろがる一つの真理としての仏の教えであり、

それはこの地球はおろか宇宙の全て、星座世界の隅々にまでわたって

すべてが平等で公平であり、

宇宙意志に寄って成立しているその世界では

人間の誰もが祝福され、その行為の全てが肯定されているよ、

という壮大な教えなのです。

そもそもは、バラモンの階級制度や輪廻転生の桎梏から

人間を釈迦が解放しようとしたものですから。

この宇宙の根源はすべての人がその宇宙意志である久遠仏の

愛の中に包まれているというのです。

勿論男女も平等であり、悪人さえも包み込みます。

だから、霊というものも来世もありませんし、天国も地獄もありませんし、

つまりは近代科学と合致するような教えでもあるのです。

たとえば、よくよく「銀河鉄道の旅」を読むと、

死者たちは恨みなく、そして幽体であり、

例えば鳥捕りなどは汽車の内外を自由に往来しますし、

乗客たちはいつのまにか宇宙に消えていきます。

つまり人間の死が、

原子に解体され、

宇宙に再吸収されていくという事ではないでしょうか。

これってまさしく素粒子論に通じるものがあると思いませんか。

そして賢治にとっては天上世界こそが宇宙であり、

人間が解体される死後の世界をも包括する<四次元世界>の切符を、

つまり現世と死後の天上宇宙の世界を自由に行き来できる切符を

賢治がジョバンニに持たせたのではないかと

私は思うのですが。

それではなぜ、最終稿(四次稿)では、その相対性理論をらしきものを削除し、

一方で
「午後の授業」「活版所」「家」そして

カンパネルラの死とお父さんとジョバンニのやり取りが

つけ加えられたのでしょうか。

そして最後の章は「ジョバンニの切符」という題が付けられています。

実は、私はここにこそ、あの苦しい挫折を乗り越えた

賢治の人間的成熟があると思います。

その事は次回詳しく書くとします。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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