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「空飛ぶ賢治」5,想像を絶するような苦悩と絶望の中で書いた「雨ニモマケズ」!

宮澤賢治と言うと誰もが思いつくのが
「雨ニモマケズ」の詩です。
そしてもしかしたら皆さんは、
賢治がこのように生きた、或いは、
生きようようとしたのだと
思われてるかもしれませんね。

確かに賢治は、こういう風に生きたかったのだと
思いますよ。

しかし現実はそうはいかず、
賢治の試みはことごとく失敗してしまいました。

だからこの詩は賢治が自分の理想の姿として
こうなりたいと書いたのだと思います。

反対に人々を救う(啓蒙する)という賢治の理想は、

世の中のきびしい視線を浴び、

味噌と野菜の食事も、

賢治の心と体を壊してしまいました。

そういうなか、今度こそ、親から自立しようと、
花巻での生活を清算し、
東京で新しくやり直そうとしていたことも
実は挫折してしまったようです
この挫折でもう賢治は折れてしま田のではないかと
私は思います。

何もかもがうまくいかず、身も、心も衰弱した中で、
おそらくみなさんが想像を絶するような
その苦悩と絶望の中で

まさか、この詩が外に発表されるのだとは思わず、

最後に法華経にすがるように
賢治が、メモった言葉だと私は思います

なんとか必死で自分を立て直し、

法華経の菩薩道にいきようとする自分の理想像を書いたと

私は考えます。

賢治が本気でそう考え、書いた詩だと思います。

だからこそ、この詩の言葉は厳しく、重く、そして純粋なのです。

ただおおそれながら、作家としての私が注目するのは最後の五行です。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

これは,法華経の常不軽菩薩に自分を重ねたのかもしれませんが、

ホメラレモセズはいいとして

クニモサレズという言葉に私は引っかかります。

もう体もヨレヨレで精神も尽きてしまいそうな中、彼の本当の本心は、

親や周囲の人から評価されなくてもいいから(ホメラレモセズ)

放蕩息子とおもわれようが、

稼ぎもせずぶらぶらしている親の重荷(苦)の長男と思われようが

そういうことはどうでもいい!

そういう事から全部解放されて、

ただのデクノボーになりたいと。

そういう願望が深層心理にあったのではないかな~とも

思います。

しかしたとえそうであったとしても、なぜ、そうは書かなかったのか。

そして同様に「銀河鉄道の夜」のジョバンニはなぜ、

この世に戻ってきたかの謎解きは、

次回に書きます!!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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