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シリーズ「ガラス戸の中より」これからの日本はどうなっていくのか、その10、地方再生こそ急務!

日本の大きな失敗は、工業社会が進展するにつれ、

労働力が都市へと集約され、地方が衰退したことです。

結論からいうと

地方文化こそ、日本の精神文化、アイデンティティーとして

大切に保護し、残しておくべきだったと思います。

これも人間が工業社会なんか経験したことがないのですから、

まあ成り行きとして、仕方がないことではありますが。

ただ、今から思うととても残念です。

それはこれから来る未来社会のことを想定しても

大事なものを喪失したなあ~と私は思うのです。

でも、まだ、喪失しきったわけでありません。

実は今から思うと工業社会の進展と同時に、

地方社会とその文化を保持していなければ

ならなかったのです。

なぜなら、工業化した都市は物財の豊かさや利便性はありますが

そこでは、日本と日本人のアイデンティティーが崩れていくことであります。

確かに先進なグローバル文化が開いていくかもしれませんが、

無国籍文化へとなることでもあるのです。

当然のこと、都市では、個の小さな家族という小さなコミュニティしか作れません。

それは、田舎の大家族と地域コミュニティとは別の、

浅い繋がりのものです。

工業社会になればなるほど、

さらに情報文化社会、そしてこれからくるかもしれない

移民大移動文化になればなるほど、

日本は、その根っこに日本の伝統文化の根として、

人々が帰っていく場としての、地方都市の文化をきちんと

担保しておくべきでした。

神経のすり減っていく都市文化の中

世界との競争で疲弊していく日本人の

帰っていく場として、

或いは自己アイデンティティーを取り戻す場として

或いは

もしかしたら、何も考えずに心を開け放つ逃げ場としての、

その足元をしっかり保持しておかなければならない。

ふる里というものは、そういうものでしょう。

これからの日本は人口減少と共に、

世界からの難民や移民をどうするかに直面せざるを得ないと

思います。

さらにもしかしたら、日本も西欧やアメリカのように

多人種の国へとならざるえを得ないかもしれない。

そうなるとおそらく、都市は秩序が乱され、

犯罪や暴力等の不法地帯がはびこる可能性が多いにあります。

多分不可避的にそうなっていくと思います。

その時、日本の伝統文化に基づく、日本人の倫理、道徳、そして秩序が

デンとして不動の如く地方にあり、都市に睨みを利かす。

日本人のアイデンティティー文化が消えない。

そういう都市と地方の相関関係を築いておく必要を感じます。

古代宗教の森の中での祈りの場、美しい自然に囲まれた田園と

素朴な人々。

更には日本の伝統的秩序が貫通した地域コミュニティ社会の存続。

いかなる人種や異文化が来ても、

2000年の日本文化がデンと控えていることこそ

大変重要になると思います。

移民や難民で混乱するのではなく、

移民の人々も日本の伝統文化の中に吸収され、統合され、

さらに高い文化を一緒に作り上げる。

今からでも遅くない、そういう事に日本人は気づいて欲しいのです。

さらに地方都市における第一次産業の復活を

私は夢みます。

映画「どこかに美しい村はないか」は、そういう大切なことを

残しておきたかったのです。

驀進するデジタル文化のその対極に

人と人の力で作りあげるアナログな文化。

そしてその背景としての美しい日本の田園と人々。

そこに希望を託しました。

次回はAIテクノノロジーの時代に予想される

ちょっと嫌のことも含めて、それをどう乗り越えていくかを

書きたいと思います。

喜乙女という個指の爪ほどの薔薇の花です。
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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