田下 啓子– Author –
田下 啓子
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「春光」河合玉堂、悠々とした春の日!
ワクチン3回めを打ちました。 ちょっと熱がでました。 ずっと引きこもり、 もう、あちこちでは、紅梅が咲いているのかなぁ。 -
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◆感覚から素粒子へ・・・。
感覚が意識のフレームを越えて、 つまり意識の既成観念の秩序を飛び出し、 感覚そのものが、言葉へと変換さないまま、感覚として自立し、 感覚から感覚へと増幅されたり、細分化されたりして直観へと連鎖、連結,移譲され、 どんどん既存のソース源から解... -
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感覚のダンシング!
どうなんだろう。 例えばロジックな世界というのは もしかしたらAIに制覇されるかもしれないが 感覚の世界、それも微細な感受性による その抽象的世界こそは、AI不可侵の世界になるのではないか。 まあ、私もよくわからないが。 例えば私が撮りたいと... -
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なぜ普遍的なものは、決して物語(ドラマ)でもないイデー(観念)でも、創造でもないのか、その2
いつも私の拙文を読んでくださり、 本当に恐縮です。 なんだか訳の分からんことをゴチャゴチャと書く田下への応援をしてくださっているのかと、 感謝のかぎりです。 今回も映画制作上の技法について、あれこれと頭に浮かんでくる言葉を書いていますので、 ... -
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普遍性とは、イデー(観念)でも、創造でもない、感覚から感覚へと、手渡されるものその1
◆感覚こそが普遍的最近しきりに思うのは、 人間にとって普遍的なものは、感覚ではないかという事です。 まあ、本能の一部ですから、人類共通と言えば、そうなのですが。 痛いとか、暑いとか寒いとか、美味しいとか不味いとか、明るいとか暗いとか、 心地よ... -
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◆断定することをおそれるな。
以前作家志望の若い女性が来た時、 私は断定した文章を書く事を恐れないように、と話した。 なぜなら、そうしないと文章は磨かれず、いつも凡庸さの中を漂う 平板なもので終わるからだ。 断定した言葉や想念=自分の判断(決断)は、 一つの完結を経た、その... -
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ナルシスト嫌い!あの「相棒」の冠城亘の反町の演技には閉口している(苦笑)
毎朝6時25分からラジオ体操をします。 このところ伴奏のピアニストが若返りして、新しいピアニストが入ってきたんだけど、 その中のひとりが、ちょっとナルシストで、 そういう音やフレーズになってるんだねー。 まあ、大したことじゃないから、どうでもい... -
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福翁自伝!さすがの福沢諭吉!
「福翁自伝」を読み終わりました。 いいですね~! 福沢諭吉翁、大したものです。さすが一万円札です。 そして抜群の明晰さです。 福沢は、幕末の頃にすでに 人間は生まれながらにして みんな平等である、という意識をもっています。 それは彼の理念として... -
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人間がなんで素敵かというと,
人間がなんで素敵かというと, どんな人間も善く生きようとする、ということです。 どんな人間も、失敗や間違いをしてしまうと、あゝしまった!と思うし、 どんな人も眠る前には、明日こそ挽回しよう明日こそは、 今日よりもっと素敵な自分でいようと無意識... -
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もし、あなたが、本当に宮澤賢治の事を知りたいなら、
人間を追って行くと、そこにはいかにもその人らしい断層が現れてきます。 けなげな高村智恵子、男性のように凛とした樋口一葉、そして、 ひたむきに走り続ける宮澤賢治、更に優雅で自在なアンデルセン、 そして聡明で飄々とした正岡子規。 いかにも人間で...