憎しみの感情、恨みの感情、自己憐憫の感情、被害者意識。ナルシズムなどが、
その人の無意識に潜んでいると、
その人間の自我の意識の立ち位置を高くしてしまいます。
なぜなら、それらの感情の奥には、
特定の誰というのではなく、
人間一般に対する、敵意があり、
不可避的に上位の立ち位置に、
自分を置いてしまいます。
さらにそれが慢心し高じてくると無意識に
●他者や社会を裁いてしまいます。
自我の自意識の目線が高く、
その目線で他者を見下している人間は、
本当は自分が見下している人々の中に
沢山の宝物が在ることを見逃してしまいます。
反対に、
さまざまに多様な人々の姿がちゃんと見えている時は、
裁くことの不毛さが理解でき、その多様さをうけいれることに
シフトして行くからです。
この時、注意しなければならないのは、
自分は弱い人の味方だとか、社会正義をもっているとか言う人の中にも
目線が高い人々がたくさんいます。
その人達の自我意識の根底に憎しみや、恨みがあると、
社会正義やヒューマニズムを盾にして、
他者を裁きたいという欲求が生まれていきます。
宮澤賢治などは、彼の世間知らずの未熟さがあり、
最初は目線の高さが見られました。
いわゆるメシア症候群(自分を救済者の位置に置く病理)であったと思います。
それは親友保坂嘉内を強引に国柱会(宗教団体)へと勧誘するという、
強烈な支配欲として顕れてしまいました。
ただ、賢治はさすがです。最後にはそういう自分に気づいていきました。
「銀河鉄道の夜」はそういう自分に気づいた賢治が、、
たとえ独りぼっちでも、もう一度、この世での自分をやり直そうとして
ジョバンニを地上に戻したように、私は思います。
声高に社会正義を訴える人や、
他者に気づかせたいという欲求を持っている人は
気づいてもらえると嬉しいなあ、くらいだといいのですが、
気づかせたい、とまでになると、もう支配欲です。
本当は、自分の自我のネガティヴな感情や、傷ついた心があるのに、
それに気づかず、それを癒す●代償行為として、
社会正義や政治批判をしているとしたら、
それも大変あやうい行為です。
逆に立ち位置が低く、深い人間洞察があれば、
自分への信頼が、翻って、他者や民衆の中にある●逞しい生命力への信頼となります。
低い地べたで、無意識の裡に他者と自分との繋がりの中を生きようとします。
要は、正しいことを主張する自分の深層心理(無意識領域)が
いかに澄みきって、理性的であるかが問われるのですね。
右にしても左にしても、社会正義も世直しも
そこある感情が、
自分たちの正しさばかりを主張するのは危険です。
それはファシズムになりかねませんから。
世の中は、いろんな意見が喧々諤々あって、それでいいのだと
思います。

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