◆こんなに便利で、清潔で、物が溢れているのになぜ、人は争い悩むのか、4

憎しみの感情、恨みの感情、自己憐憫の感情、被害者意識。ナルシズムなどが、

その人の無意識に潜んでいると、

その人間の自我の意識の立ち位置を高くしてしまいます。

なぜなら、それらの感情の奥には、

特定の誰というのではなく、

人間一般に対する、敵意があり、

不可避的に上位の立ち位置に、

自分を置いてしまいます。

さらにそれが慢心し高じてくると無意識に

●他者や社会を裁いてしまいます。

自我の自意識の目線が高く、

その目線で他者を見下している人間は、

本当は自分が見下している人々の中に

沢山の宝物が在ることを見逃してしまいます。

反対に、

さまざまに多様な人々の姿がちゃんと見えている時は、

裁くことの不毛さが理解でき、その多様さをうけいれることに

シフトして行くからです。

この時、注意しなければならないのは、

自分は弱い人の味方だとか、社会正義をもっているとか言う人の中にも

目線が高い人々がたくさんいます。

その人達の自我意識の根底に憎しみや、恨みがあると、

社会正義やヒューマニズムを盾にして、

他者を裁きたいという欲求が生まれていきます。

宮澤賢治などは、彼の世間知らずの未熟さがあり、

最初は目線の高さが見られました。

いわゆるメシア症候群(自分を救済者の位置に置く病理)であったと思います。

それは親友保坂嘉内を強引に国柱会(宗教団体)へと勧誘するという、

強烈な支配欲として顕れてしまいました。

ただ、賢治はさすがです。最後にはそういう自分に気づいていきました。

「銀河鉄道の夜」はそういう自分に気づいた賢治が、、

たとえ独りぼっちでも、もう一度、この世での自分をやり直そうとして

ジョバンニを地上に戻したように、私は思います。

声高に社会正義を訴える人や、

他者に気づかせたいという欲求を持っている人は

気づいてもらえると嬉しいなあ、くらいだといいのですが、

気づかせたい、とまでになると、もう支配欲です。

本当は、自分の自我のネガティヴな感情や、傷ついた心があるのに、

それに気づかず、それを癒す●代償行為として、

社会正義や政治批判をしているとしたら、

それも大変あやうい行為です。

逆に立ち位置が低く、深い人間洞察があれば、

自分への信頼が、翻って、他者や民衆の中にある●逞しい生命力への信頼となります。

低い地べたで、無意識の裡に他者と自分との繋がりの中を生きようとします。

要は、正しいことを主張する自分の深層心理(無意識領域)が

いかに澄みきって、理性的であるかが問われるのですね。

右にしても左にしても、社会正義も世直しも

そこある感情が、

自分たちの正しさばかりを主張するのは危険です。

それはファシズムになりかねませんから。

世の中は、いろんな意見が喧々諤々あって、それでいいのだと

思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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