さて、では昨日の続きを。
今日は反対に、もし自我意識の中の立ち位置が高い場合には
どういうことが起きるか。
人間の脳は自分の過去のデータをやりくりして、生きています。
そして自我の立ち位置の目線ができる青年期までの過去データーのほとんどは、
自分の身内や身辺でおきることを
記憶したものなのです。
青年が社会へとデビューした世の中は、
様々な人間がおり、さまざまなる情報の世界でもあります。
だからそこに対応していくには、その個人のローカルなデーターでは
とても追いつかないのです。
人生は限りなく学びの世界でもあります。
しかしその学びを邪魔しているのが、自我の自意識の世界です。
具体的にいうと自我のプライドと立ち位置です。
自我のプライドは、育成の中で立ち上がっていきます。
親や自分の身内や身辺の人間関係のなかから、刷りこまれ、
投影してできあがっいていきます。
しかしそれは極めてローカルな情報(自分の思い込み)でしかありません。
残念なことに極めて個人的なローカル情報であるにも関わらず、
人間は、それが●誰にでも通用するような錯覚をするのです。
実はこれも脳の仕業なのですが・・・・トホホ!
※ここら辺のことは養老孟司先生が書いておられます。
しかし現実は、様々な個人がおり、それぞれがローカル情報を持っていますから
当然のこと、他者や社会と自分の自意識との、違和や衝突が起きます。
自分の思い込みによる失敗や、
他者との衝突や、社会での挫折することこそ、
自分の限界を知らせ、ローカルである狭さを知らせ、
自分の未熟さを教えてくれるのです。そして
それに気づけた人は、そこからまた出発できます。
しかし、自我意識の立ち位置にしがみつく人は、
そこでもうアウト=天井になります。
自意識を捨てない限り、
無意識領域においても、意識領域においてもそれがアウトであることに気づけません。
※ビジネスの世界ではピーターの法則というものがあり、
それによる人間は或る時から無能になるとあります。
そしてほんとうに気の毒なのですが、
若い時に成功した人や、優秀とされた人達は
そこに慢心が生まれますから、なかなかこのアウトに気づけないのです。
自分のプライドを捨てられないのです。
実際に若い時に有名になったあるクリエータが挫折し、その人が
再成功するためのカウンセリングしたのですが
どうしても自分のプライドを捨てられず、
その上から目線から下りることができませんでした。
もし、その人が高い立ち位置から下り、
地べたの目線にに到達出来れば、きっと
新しい才能も開けたはずなのですが、とても残念でした。
余談ですが、自我意識は慢心製造機なのです。人間はすぐ慢心します。
油断すると無意識の裡に慢心しているのです。
私はもうすぐ74歳になりますが、今も自分の慢心を叩きながらの毎日です…苦笑!
世の中は勝手なもので、若い時の才能の開花や成功を誉めたたえます。
しかし、若い時の才能は使い切ると限界になります。
私流にいえば、才能とは時間という戦略の中で開花してゆくもので、
若い時のそれは才気が花開いているに過ぎないの。
その才気を才能という立体的な構造物にしてゆくには
人生の時間と経験が必要なのです。
才気が人生の中で熟してゆきながら才能へと花開いてゆくのですね。

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