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◆こんなに便利で、清潔で、物が溢れているのになぜ、人は争い悩むのか・後書きその2

野村先生の言葉にあるように,人間は個であるとともに群像(集団)で生きなければなりません。

それでも人間は、個々の存在が凄い。

個々の存在のその強烈な人生こそが素晴らしいのです。

個々のその脳の中で、苦労したことや、努力したそのドラマがこそが、

社会(集団)に反映され、、歴史を紡いてきたのです。

しかしAI時代においては

人間の個性や人生がとても貧弱になり、

知能や知性や感情もが短絡していくかもしれません。

なぜなら、脳の発達に重要な、その人間の

経験値や体験知や考察力が奪われる可能性があります。

反面、考えなくても

デジタルな回答がすぐ手に入り

時間をかけて考えるという

脳のアナログ性がディスカウントされるからです。

時間をかけて考えるという知力と知性が

どんどん後退していくかもしれないからです。

現に今、若い人の知的理解力や、読解力の低下や、

さらに大きな経済格差が生まれ、失業する人が増えていくことも否めないです。

実は私は、20数年前から、これからは脳の時代になるのではないかと思い、

手当たり次第に脳に関する本を読んで来ました。

今20数年を経て、やっと脳についての私なりの理解ができたところです…苦笑!

そして時代はとうとうAI時代に入りました。

確かにAIテクノロジーの世界は、

今までにはない、凄いことにもなると思いますが、

一方脳のことが、分かればわかるほど、

私の中には大きな危惧がうまれました。

いったい人間はどうなってゆくのかと。

そのためには、

●これまでの文化と文明の<総総括>が必要であると

私は考えます。

脳は、強烈に一人一人の個の世界を作り上げると同時に

集団で生きるために言葉を発明し、

個人と社会を、文化や経済でなんとか折り合いをつけながら

人間を生き延びさせてきました。

現代は、人間が生き延びてゆくために、

AI時代の利便性や生産性や利益率の高さが

優先されてゆくことが

一般の道理として受け入れられていますが、

脳の観点からいうと、それと交換に

人間の存在とその価値が薄められ、

つまり人間存在の意味や価値が希釈されかねないこと、

更には、知らないうちに人間自身が

●微妙に解体されてゆくかもしれない危機を、

私はAI時代に感じるのです。

(まあ、これも私の先走りかもしれないのですが。)

これからの時代は、

人間が、人々が、

脳の機能と本質を理解した上で、

脳の辺縁系(動物的本能の世界)がもたらす、

くだらない争いや対立を払拭した、

●新しい人間の生き方(文化)こそを

模索する必要があると思います。

さらに脳の機能世界に話を戻すと、

人間の脳は、その生命体(人)の危機やストレスがかかっている時こそ、

フルに活動していきます。

脳の本望は、危機に対する解(答)を出してゆくとことにあるからです。

それを私は「脳のアルゴリズム機能」と言っています。

これも私の独断でそう言っているのですが…苦笑!

脳が解を出してゆく時凄いのは

その人間のデーターベースにある遺伝的な記憶と、

その個体が学習した知識及び、

その特有の経験値や社会知による記憶を

●ゼロからたちあげ

高速回転しながら不連続に連続して、

高度に止揚していくことです。

AI時代はそういう、

ひとりひとりの脳の、優れた機能が退化したり、劣化する危機感を

私が感じてしまったのです。

そういう中で、児玉房子さんのガラス絵に出会いました。

その時、私自身でも、訳がわからないですが、

ここに描かれている人間の姿をなんとしても、AIの時代へとつなぎたい。

このアナログな文化をAIの時代に残しておかねば、と本気で思い詰めました。

脳のことが、分かればわかるほど、その思いは使命感のようになっていき、

それで能勢監督にお願いして映画にしていただきました。

その時、ガラス絵館が遠野にあり、現代文化に毒されていない

美しい遠野の田園風景と人々に出会えたことが

最上のラッキーでもありました。

●AIテクノロジーはそれが医学に貢献して、人間100年時代になるとも謳われています。

さらに個の文化世界や、精神世界が充実するという人たちもいますが、

それに対しても私はかなりいかがわしいものをかんじます。

逆に、人生はセレンディピティーの、人と人との出会い、

人と人の力が繋がりや、一緒に生きるている共生感が、

とても大事なのだと、この歳で痛感します。

この映画は、劇映画ではなく、ドキュメンタリーです。

つくりものではない、ほんとうの人間の姿が映されています。

時代が高速で過ぎてゆく中、

今撮っておかねば、チャンスを逸するかもしれないと思いました。

優しいカメラのまなざしで、人と人が繋がり生きることを、

美しい遠野の田園と人々を、

心が弾むRakiraさんの音楽と共に編集して、

能勢監督が映画にしてくださいました。

もしかしたらAI時代の真っただ中で

人間らしい生き方とはなにか、そして

文明と文化とはなにかを、再度

問いただす時、その時ぜひ

こんなに楽しく人々が働いていた時代があったのだと、見て貰えれば幸いです。

長くわかりにくい拙文を読んでくださり、

ほんとうにありがとうございました。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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